ブルバキのモデル!実在のブルバキ将軍の生涯を解説!ブルバキに娘がいた?

人物伝
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匿名の数学者たちの集団のハンドルネームである二コラ・ブルバキには、モデルといわれている同名の将軍がいる。その生涯について詳しく解説する。

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実在のブルバキ将軍の生涯

シャルル・ドニ・ソテル・ブルバキ (1816~1897)フランスの軍人。

ブルバキ将軍の肖像

若年期:陸軍学校で学ぶ。

1836 ~1854:最初の実戦経験。アフリカ戦線で経験を積む。

1859 ~60 :イタリア戦線で活躍

1869: 皇帝副官にまで出世。

1870年:普仏戦争に参加。東部戦線で武功を立てる。

1871年1月:ヴィレークセルの戦いで勝利。しかし、その後のエリクールの戦いで敗北した。・・・このとき自決を図っているが、最終的には投降。

1879:予備役に退く。こののちは、引退した状態で晩年を迎えている。

どの数学者が、なぜモデルにしようと考えたのか?

ブルバキの構成メンバーの中には、従軍経験がある者もおり、従軍したときにブルバキ将軍の話を聞いて匿名の名前にした、という説がある。たとえばガストン・ジュリアは第一次世界大戦で兵士として参加し、負傷している。

しかし、そもそもブルバキ将軍とは無関係に名付けられたという説も存在するので、どの程度信ぴょう性があるかは不明。

当然、ブルバキ将軍には数学を学んだ経験や素養があったわけではない。

数学者ブルバキの設定

※ここからの略歴は、ブルバキを作った数学者たちによる「設定」であり、実在の人物の略歴ではありません。

名門ブルバキ家

クレタ島出身の名門で、1089年から記録がある。

1750-1820年:エジプト遠征でソテル・ブルバキが武功を立てる。・・・この人物の長男がブルバキ将軍の祖先である

その後:三男がロシアに亡命、この子孫が二コラ・ブルバキとなる

二コラ・ブルバキの設定

1886:ククテニで二コラ・ブルバキ誕生。

1906:奨学金でパリとゲッティンゲンへ、ポアンカレ、ヒルベルトに学ぶ。

1910:カルコフ大学にて数学の学位とる。

1913:講師になる

1915:結婚し、娘のベッティが生まれる

1935:活動再開

ブルバキの性格としては、人嫌いで、協力者とのやり取りを通じて研究をしているとされた。

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考察

・かなり武闘派だったブルバキ将軍?
将軍の略歴を見ればわかるとおり、かなりいろいろな戦いに参加して活躍をしていることが分かる。また、後半の負け戦のときは自決を図るなど、武人として負けるくらいなら死ぬことを選ぶという苛烈さも持っていたことが分かる。しかし、戦上では命を落とすことはなく、天寿を全うしていることからタフな人物だったということが言える。