フルベッキ写真の西郷隆盛をAIで判定してみたら?生存説を解説!

人物伝
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西郷隆盛とされる写真の判定をサイトでやってみると、面白い結果が?!

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フルベッキ群像写真の西郷隆盛をサイトで判定

フルベッキ写真の人物

フルベッキ群像写真には西郷が移っているといううわさがあり、その人物とはフルベッキの後ろにいるいかつい顔つきのやや大柄に見える男である。

げんだいでは、同一人物かどうかをサイトで判定してくれるので、版画の画像とこの写真の男性を同一人物かどうかの判定をしてみた。(もっとも、この版画自体も親戚の見た目から書き起こしたものであるので、本人のものではない)

サイトはこちらである:https://demo-face.space-i.com/face_php/php_face_select.php

顔を選択する二つの窓にそれぞれ画像を選択し、検証ボタンを押せば数秒で検証してくれる。

結果!

結局、獲得近似値:0pt、となってしまい、確実に別人ということがわかった。

実際にフルベッキ写真は西郷たちが写っていることはありえないということがほぼ確定しているので、上のような結果が出ても不思議ではない。

西郷隆盛生存説

西郷隆盛生存説は明治期に流れたうわさである。

生存説の詳細

「西郷隆盛は西南戦争では死なず、インド、朝鮮、ロシアのどこかにのがれ、帰国の機会をうかがっている」というもの。

1889年に帝国憲法発布で大赦(恩赦の一種)がでて、西郷隆盛は国賊からはずされた。

1891年にはロシア皇太子の軍艦で帰国するらしいと噂がながれる。このとき、仲間の桐野利秋、村田新八らもともなって帰国するとされた。両者とも西南戦争で西郷の補佐として活躍した腹心である。

このうわさの出所は鹿児島新聞への投書で、ロシア皇太子の来日は名目であり、実際は西郷の護送が目的、というのがうわさだった。

1891年4月3日、「国民新聞」は絵を使ってこのうわさがデマだと主張した。この絵は船に乗った西郷や桐野、村田が白い三角巾を頭につけており、死んでいることを示している。

1891年4月11日、「団団珍聞」では、うわさが大きくなったことを風刺している。

当時の人々は半信半疑だったそうだが、西郷隆盛が帰ってくるなら人目みたいという日とも一定数いたようである。

火星接近

西南戦争のさなかの1877年には、火星が接近し、明るく輝いた。その中に西郷の姿が見えたといううわさが流れ、この星は「西郷星」とよばれた。

また、土製も同じ時期に接近しており、こちらは腹心の桐野にちなんで、「桐野星」と呼ばれたようである。

これらのことから、西郷隆盛が人々から慕われていたことがわかる。