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安部公房と三島由紀夫は、言うまでもなく20世紀の日本を代表する作家であり、両者ともノーベル文学賞クラスの作品を世に送り出している。そんな彼らの対談が実現したことがあった。今回は、彼らの対談の様子を抜粋して探る。三島が死を意識したような個所があり、興味深い。
1966年、 安部公房と三島由紀夫の本格的な対談がもたれる。以下、面白い部分の抜粋である。ただし、凡人には理解できないような(?)文脈もおおい。
三島:性の問題だ、20世紀の文学は。
安部:あと、イメージの問題ではないか。
三島:それも突き詰めれば、セックスの問題になる。
安部:性は、隠されることで分離して露出したんじゃないか。
しょっぱなから性と文学についての議論を展開しており、安部公房も「はじめから性の話題と来たのでまごついた」ということを言っている。二人とも、性と文学とのかかわりについてはほぼ同意見らしい。
安部:日本語の美しさとは?
三島:言語はコンベンショナルなものをつかうべき。
三島:セリフはアクションである。
安部:言語の行動制を回復しないと、文学は終わる。
このへんは日本語について、その性質について述べている。とくに、行動と関係のあることを議論しているが、文学者でもないと捉えにくい。
三島:伝統の問題、伝統否定と伝統主義の喧嘩がある。
安部:科学の伝統は、メトーデを守ればよい。
三島:おれにはメトーデはない。
安部:君の伝統はメトーデだとはっきりした。
メトーデとは、言葉ではなく実物を知覚することで知識を得る方法のこと。それぞれの文学が言葉重視か、実物重視か、のようなことを議論しているが、意見は相反しているようだ。
この辺から、安部も一人称が「俺」になってきており、語りが盛り上げってきたのか心境の変化がうかがえる。
三島:俺が死ぬときに、最高理念を授かる。
安部:君、死ぬときに授かるのか。
三島:俺には無意識はない。
安部:変な冗談、結論がつかないな(笑)
三島:いいんだ、両方、喧嘩わかれでおしまい(笑)
これが最後の部分である。三島は死ぬときに最高理念を授かると言ったり、両方喧嘩わかれでおしまい、などといっているように、この時点で死を覚悟していたような、安部との対談は最後かのような雰囲気をだしている。
1970:いわゆる三島事件がおこる。三島由紀夫、自衛隊駐屯地で切腹自殺。・・・対談からわずか4年後のことである。
1993:安部公房、死去。
・安部と三島が話したのはこれが最初で最後というわけではなく、これ以前も座談会などで数回顔を合わせているようである。