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無限は神学上の問題(世界の大きさや、籍の始まりと終わり)ともかかわりが深く、人間には扱えないものというキリスト教的な考え方があった。カントールが無限の扱いを数学的に定式化したころにも、教会や数学者でさえ反発をしめした。
3世紀:オリゲネス、「諸原理論」神学的に無限を拒否。
4世紀:聖アウグスティヌス、神は無限を理解できるとする考え方。神が無限を包含しえないと考える人々を攻撃。カントールはこれを無限の理解への弁護と考え、引用している。
13世紀:聖トマス・アクィナス、無限に対する反対の立場を表明。「神の創造した多様性は規定された数として理解されるべき」
19世紀:カントール、濃度の概念を使って無限を規定。また、無理数との関連を研究した。
19世紀:クロネッカー、無理数に対する反対を表明。カントールを非難。
1880年代:カントール、ドミニコ会修道士への手紙、「自分のおかげでキリスト教哲学は真の無限論を手にした。」
1884年:カントール、神経を病む。
1890年代:フランツェリン枢機卿、無限の現実性について不信感を表明。
1896年:枢機卿に手紙を書く。「永遠な想像されない無限と、想像される無限は区別される、前者は神にのみ属する」
19世紀末:カントール晩年、何度も精神病院に入院
・1884年に神経を病んでいる間、ゴールドバッハ予想が1000までの数で成り立つことを計算して確かめた。
・クロネッカーは整数と有限な数の操作に限るべきと考えていた。
・その他、無限に不信感を持っていた研究者としてはガリレオ、ガウス、ミッタク・レフラーなどがいた。
・数学と宗教
ガリレオの異端裁判など、物理学などの実用寄りの科学が教会とぶつかる例はかなり有名である。しかしながら、数学という思考よりの分野でも宗教とのぶつかり合いがあったことを示すエピソードである。こちらも、最終的には科学としての重要性や厳密さが認められた。
・カントールと神学
カントールは数学だけでなく、かなり神学の研究も本気でやっていたらしい。数学でも存命中は無視され、神学者としての功績はほぼ今日には伝わっておらず、やや踏んだり蹴ったり名印象がある。晩年、精神を病みがちになってしまったのはそれぞれの学問分野にも居場所を感じられなくなってしまったことが、明らかに一員であるように思われる。
・今日の無限
カントールらの尽力により、今日では高等教育で用いられるほどポピュラーな概念となっている。 宗教的にも数学的にも無限を忌避する人物はいないといってよい。カントールと生前から無限について理解を深めていたデデキントらには、先見の明があったといえるだろう。