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ガリレオの落体の研究で有名なピサの斜塔の実験。この実験については嘘であったとの説が有力だが、真相は次のようなものであったらしい。また、なぜガリレイがピサの斜塔で実験をしたという話が広まったのかもおおよそ明らかになっている。
落体に関する実験の歴史を年表にした。
前4世紀:アリストテレス、重いものはより早く落ちると考えた。
14世紀:マートン学派のブラドワーディン、どのような物体も同じタイミングで落ちるだろうと推論・・・ただし実験はしていない
1580頃:ステヴィン、重さの異なる鉛を高いところから落とすと、同時に地面に落ちる音がする・・・じっさいに実験した。
17世紀:ガリレオガリレイ、落体の研究、あるいは思考実験を数多く行う
ガリレイは講義などでも、アリストテレス説に反駁する形で、重さの異なるものでも同じタイミングでおちるということを生徒に解説していたようである。そのさいには、重いものと軽い物をつなげて落としても、その分速くはならない、といったレトリックで納得させていたようだ。実際、この仮説はただしい。
ガリレオは坂道をつかった落体の実験は実際に行っている。その時のスロープは今日でもフィレンツェに残されている。
これは規則的にベルに当たるようになっており、同時に転がることを証明していた。
直後:ガリレオの弟子ヴィヴィアーニ、ガリレオの伝記をかく。・・・このときステヴィンの話が混同されたと考えれている。
少しあとの時期:ダンネマン、半ポンドの銃弾と100ポンドの砲弾を同時に落としたが、後者は2、3インチさきに落ちただけだった。と記録している。
ガリレオの死後しばらくして、実際に高いところから、ガラス玉などの材質の異なる球を落として空気抵抗による差を計測するという実験行われている。
このように、時期をほぼ同じくしてさまざまな「落体を高所から落とす実験」が行われたことから、落体実験の実施者が混同される環境が作られていったということが考えられる。
20世紀:ジョージ・ガモフ、「重力の話」という科学の啓もう書を執筆する。このなかで、ガリレイがピサの斜塔から二つの弾を持って落とそうとしている挿絵が描かれている。この挿絵が誤解を広めた原因ともおもわれる。ちなみにこの挿絵は、ガモフ本人が書いたものであるともいう。(ガモフは科学者であると同時に、科学の民間向けの啓もう活動にも熱心だった。)
20世紀を通じてこれを引用する形で、今日まで続く「ピサの斜塔でのガリレイ落体実験」の伝説が広まっていった。
・ マートン学派などのスコラ哲学が実験を忌避したのは、「実験は自然を拷問にかけること」という価値観があったからだという。
・ガリレオと脚色
ガリレオの実験はピサの斜塔では行われていないらしいが、脚色された話が信じられるほど、彼の偉大さがうかがえる。彼ならそういう実験をしてそう、というイメージで受け入れられたと考えられる。