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墨子の発明について、また、墨子とキリストの類似点について書きます。
諸子百家の一つである墨家は技術力にも優れていた。その発明とともに盛衰をたどる。彼らの主張や慣用句で有名なものは
「兼愛」・・・分け隔てなく愛することが天下をおさめるためには必要である。
「非攻」・・・侵略戦争はしない。
「墨守」・・・攻められたら、徹底的に抗戦する。
など。じつは、「決して戦わない=非暴力」の立場ではない、ということに注意が必要である。
技術面に関して言えば、非攻の思想により城を守る兵器が主だった。
紀元前の時代には、特に土木技術に関しては中国は世界の最先端を言っており、墨子もこれらの知見を吸収したものと思われる。実際、建築の道具などに関するエピソードなども伝わっており、モノづくりを学んでいたものと思われる。
前5世紀:墨翟(ぼくてき、墨子)生まれる。
前450前後:墨家を形成する
・墨子の人物像
墨子の人物的な特徴としては、工学的な素養があったこと、武装集団を統率することができたこと、哲学的な思索ができたこと、などがあげられる。このことから、大工などの工匠ではないかと推測したくもなる。また墨という字は刺青を表すため、罪人や任侠などという説もある
一応、最近の研究では、下級武士という説が強いらしい。武士でありながら、ものづくりをどう学んだ気になるところではあるが、古代中国は当時の世界最先端の工学の素養があったので学ぶすべはあったと思われる。
前5~4世紀に城を守る兵器の発明をいくつかしている。これは例えば、以下のようなものである。
1.人質の見張り方
・望楼は、人質の建物を見られる場所に作れ
・下から見上げてもわからないが、上から外がわかるようにせよ
・壁を土で固め、中をのぞかれないようにせよ
2.垣根の張り巡らし方
・人質の「建物は、周りを3重の垣根でかこめ
・壁に土を塗って防音せよ
土を使って壁を固めたり、防音の効果を施すなど、当時の技術をうまく使っている点が見られる。とくに、土の防音効果は現代ではあまり見られないが、防音効果を調べたら面白いかもしれない。
前390頃には創始者の墨子が亡くなる。禽滑リ(きんかつり)が、 2代目リーダーになった。 その後に前4世紀に3代目のリーダー孟勝(もうしょう)がたつが、戦乱の中で墨家の一団と玉砕。ここに墨家は終焉をむかえた。
紀元後1世紀:イエス・キリストの博愛の思想が広まる。墨子の時代とは400年くらい後のことだが、思想が伝わったのかとも考えられる。しかし、兼愛は天下を収めるためという側面が強いのに対し、博愛は死後の救済のためであるので、ややニュアンスがことなる。
墨家は諸子百家の中でも意外と短命だったが、諸子百家の中でもかなり実践的だったといってよい。墨子の建築などの技術は墨家の消滅もあってあまり後代に残されることはなかったようだが、城を守る兵器の進歩には貢献したといえるだろう。
・音楽嫌いの墨子?
墨子を紐解くと、音楽は不要である論が展開されている箇所がある。墨子としては、実用重視で、道楽はあまり好きではなかったのではないか、という人物像がうかびあがる。趣味でのモノづくりはしなかったのかもしれない。
・墨子と 公輸盤 が戦っていたらどうだったか
墨子と 公輸盤 は、一度机上演習をして、何度やっても墨子が勝ったため、王が出兵を取りやめたというエピソードがあるが、実際に戦っていたら、同数の兵力の短期戦であれば衆生兵器の墨子が勝っていたかもしれないが、多勢に無勢の兵糧攻めでは、補給線を絶たれたら墨子でも勝てなかったかもしれない。ただ当時の中国の状況では、そこまで兵力を避けなかったと思われる。
・墨子はほぼ同時代人の孔子のことを詐欺師と非難している。
・墨家は傭兵集団でもあった。
・墨子のライバル、 公輸盤(こうしゅはん)の発明した雲梯、これに対抗するのが墨子たち。