死球(デッドボール)死亡事例・危険球最速退場まとめ-ヘルメットの歴史

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デッドボールによる死亡事例と、危険球退場の事例をまとめた。あわせて、ヘルメットの進歩についても解説する。

なおデッドボールというのは和製英語であり、英語ではヒットバイピッチ(hit by pitch)という。危険球のほうは、ビーンボール(bean ball)という。ビーンボールはわざと当てたというニュアンスも含む場合がある。

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死球の死亡事例

メジャーリーグでの死球による死亡

1920年8月、インディアンスのレイ・チャップマンは試合中に頭に死球を受け、翌日死亡した。

これ以外には死亡事例はないが、意識を失った事例はいくつか存在する。

日本での死亡事例

日本プロ野球では死球による死亡事例は現在までのところおきてはいない。しかしながら、高校野球では死亡事例が存在する。

2018年11月、熊本にある高校の野球部員が練習試合中、頭部付近に死球を受けて亡くなった。この事例外にも、デッドボールによる死亡事例はいくつかあるようである。

プロ野球では、石s気を失った事例はないが、死亡事例はまだ起こっていない。

危険球による最速退場記録

ここでは危険球による退場記録を早い順にまとめた。

2球で退場

2021年7月、阪神タイガースvsオリックス・バファローズの試合で、阪神先発の鶴直人投手は打者の頭部にデッドボールを当ててしまい3球で危険球退場となった。

3球で退場

2021年7月、埼玉西武ライオンズvsオリックス・バファローズの試合で、先発の佐々木健投手は打者の頭部にデッドボールを当ててしまい3球で危険球退場となった。

4球で退場

2012年2月、ソフトバンクの試合で、ソフトバンク先発の川原投手は打者の頭部にデッドボールを当ててしまい4球で危険球退場となった。

ヘルメットの発明

安全のため打者のヘルメットが進歩して言った。しかし、ヘルメットも破損することがある。

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ヘルメット誕生

危険球をきっかけに、まずメジャーリーグで打者のヘルメットが導入された。

1956年から、MLBでは全ての打者が自分の帽子の下に打撃用ヘルメットや保護ライナーのいずれかを着用するよう義務付けられた。

これは直後に日本でも導入された。ただしこの時点では耳あてがついていない。

耳あて登場

1966年にMLBでロン・サントが即興のイヤーフラップ付きヘルメットを着用した事例がある。

1970年8月、田淵幸一選手はデッドボールを左のこめかみ部分に受けて昏倒。後遺症として方向がわからなくなるといった症状が出た。これを契機に、打者用のヘルメットには耳当てがつくようになった。耳あてはイヤーフラップとも言う。

口元を覆う形に

2010年代後半になると、より広範囲に顔を覆って守れるように、口元まで覆う形のフェイスガードつきものをつけるようになった。フェイスガードはCフラップとも言う。

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