有名なソフトウェア特許をめぐる事例や事件について、海外の例をまとめた。主にアメリカの事例が中心である。
1960年代
コンピュータ黎明期の1950年代をおえて、研究室段階で発展しはじめていた時期であり、ちらほら特許にからみはじめる。
イギリス
英国は、じつはソフトウェア特許においてもっとも先駆けていた。
1965 :このときにはすでに、~するコンピュータ、~する線形プログラム手段、という請求をみとめている。
フランス
逆にフランスでは、あまり先駆的な判断はされなかった。
1968 :コンピュータプログラムなどは抽象的なので特許は認められない、と判断されている。
まだ国による判断の違いがうかがえる。日本ではとくに動きはなかった。
1970年代
民間にも進出しはじめ、従来の解釈との違いが指摘されはじめる。
アメリカ
1972: Benson判決。2進数に変換する技術だったか、数式と変わらないとして特許を認めないとした。
1977:欧州 EPC、 コンピュータのためのプログラムは認めないと方針を発表。
この時期は、プログラムは著作権法の改正で対応していく、という方向が模索された。
80年代以降
いよいよ特許が正面から発明に向き合いはじめる。結果として、ソフトウェアであっても特許が認められるという方針が明確になっていった。
アメリカ
1981: diehr判決。プロセスのなかにコンピュータを使うところがあっても、プロセスは特許となる、と認めた。画期的な事例として有名なもの。
これを契機にソフトウェア特許が認められていった。
1988:カーマーカー特許。カーマーカーのアルゴリズムをAT&Tが特許出願したもの。特許関連の人々のみならず、学会などからも注目が集まったが、結局は許可された。これも非常に有名なソフトウェア特許の例。
ところが認めすぎる、と業界から文句がでたので、プログラム、コンピュータを使う過程を除いた部分で特許にあたいするか判断する、と方針がきめられ、おおくの請求が拒絶されていった。
1995:In re beauregard事件。プログラムコードが体現された請求を認めるかどうかが問われ、印刷物と同じであるとして拒絶されたが、beauregardが控訴していた。
最近の事例
2011:イギリスでのHalliburton判決。ドリルの刃先のデザイン最適化をコンピュータにやってもらう。特許は否定されなかった。