吉宗の新規御法度(発明禁止令)とからくり

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徳川吉宗は倹約政策をとった政治家として知られているが、その過程で新規御法度という、発明を禁止する悪法を発布したことで知られる。これについて解説する。

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新規御法度の発布

1716:徳川吉宗、将軍になる。財政再建が目下の目標だった。

その後、倹約に努める。これが新規御法度の下地となった。大奥の人員を減らし、食事も質素なものに変え・・・というのはかなり有名な話である。

1721:徳川吉宗、新規御法度の発布。新しい発明が禁止される。

これにより、新田開発も止められてしまった。

衣服、薬なども新しい物を作ってはいけなくなり、輸入品の流通も禁止となった。どうしても必要な場合は、役所にお伺いを立てるのが決まりだった。

発明家への影響

これによって、発明家は幕府に反逆するアナーキストということになってしまった。例えば、からくり師として知られた浮田幸吉、とおり名は表具師幸吉(ひょうぐしこうきち)がこの時代の反逆者になってしまった。

このひとはハンググライダーのようなものを作って1797年に滑空に成功した、という話が残っている。しかしながら、新規法度で罰せられ、書物などが焼かれたという説もある。

実は新しい物好きな吉宗

倹約が必要という判断さえしければ、江戸の科学が花開いていた可能性はある。

吉宗の政権下では、江戸にゾウが連れてこられ、民衆にもお披露目された。吉宗のペットのような扱いで飼育されていたらしい。空前の象ブームが起きたとも言われている。このように、もともとは好奇心が旺盛で、異国のものを研究対象にする素地はあったと考えられる。

また、発明に関しても、後年、城の一端に「だらだらばし」という名前でゆるやかなスロープを作り、足腰が弱っても上がりやすいという発明も自らしている。これが当時まだ世界でも試みられていないバリアフリーのはしりである。

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考察

・吉宗の新規法度の背景
吉宗はどうしてこのような発明禁止令までだしたのだろうか。これは吉宗の享保の改革などの一連の流れ、すなわち節約と節制、ぜいたくを禁じる姿勢と同様の流れだと考えることもできる。しかしながら、吉宗以前にも同様の発布があったので、単に過去の例を真似してみただけだったのかもしれない。

・この新規法度の影響
徳川時代の鎖国政策によって世界に取り残されたという解釈も存在するが、この新規法度も同様に、西洋から取り残されたというか解釈をすることもできる。特許制度の歴史からしても、この政策に関しては世界の潮流に逆行するものである。