バイオ特許は、ゲノムや遺伝子に関する研究に関する成果物に与えられる特許であるが、これについても特許庁が認めるまでは議論があった。ここでは海外の事例をまとめた。アメリカが先駆的な役割を演じたため、主にアメリカの事例が中心である。
バイオ特許の有名な事例
バイオ特許が認められるまでの紆余曲折が見られる。すんなり特許が認められたわけではなかった。
DNA断片の特許?
1991 :米国立衛生研究所のクレイグ・ベンダーらが機能が未知のDNA断片を特許出願したが、取り下げられた。
このあと、DNA断片に対する特許出願がふえる。
1998:インサイト社のDNA断片に特許が認められた。これを契機に、みとめられはじめた。
エイズ治療薬
1997 :エイズに効果の高い治療薬で特許をとられていたが、高価だった。反面、法整備がすすんでいなかったインドでできたコピー薬品は安く手に入る。南アフリカ共和国は「医薬および関連物質管理法」でコピー商品を社会にいきわたらせることで、エイズの蔓延という社会問題を打開しようとした。
同時期には、南アフリカ政府が非常事態宣言で強制実施をするとも予想されたが、宣言しなあと発表した。
製薬会社らはそれを望まないため、高裁に提訴。
2001:NGOの署名などの圧力で、製薬会社は訴訟とりさげ。このあと、コピー薬品に関する取扱いの整備が前進した。
有名な事件・裁判
サン族のサボテンの特許
2002 サン族のサボテン特許 サボテンに含まれる空腹をしのぐ成分(食欲抑制因子)を特許化したが、サン族が伝統知識が盗まれたとして訴訟。
サン族がロイヤリティを受けとることで和解した。
ハーバードマウス事件
1984:ハーバードマウスが作られ、特許出願がされる。ガン遺伝子をトランスジェニックマウスについて、アメリカで特許が与えられたが、宗教団体や動物愛護団体が抗議した。
これにより、非公式ではあるが1992まで動物への特許付与を見合わせることになった。
ES細胞のライセンス訴訟
1998 ES細胞の特許ライセンス
ウィスコンシン大学のグループがES細胞の作製に始めて成功し、特許も成立した。
研究資金はジェロン社が出しており、当社にライセンスが付与される。筋肉細胞など6種類だったが、他の部分も追加交渉できると契約には書かれていた。
ウィスコンシン大学は追加ライセンスを拒否した。これを確認するための訴えを2001年におこす。ウィスコンシン大学は独占を防ぐことで利用範囲を広げたい意図があった。
非独占、独占の区分を新たに契約することで両者は和解した。