ラッダイト運動には具体的にどのような事例があったのか、詳しく解説する。
工場や機械の破壊活動(一次災害)
ラッダイト運動の代表的事例である工場や機械の破壊活動は以下のようなものである。
17世紀:風車によるリボン織機械の破壊・・・最も早い機会破壊運動の例。これはヨーロッパ各地で見られたらしい。もっとも、まだ蒸気機関が普及する前の話であるので、厳密にはラッダイトではないとみることもできる。
1758 :エヴェレットの機械に火をつけられる
1865 :やすり研ぎ機械の破壊・・・19世紀にはいっていてもまだ散発的にラッダイト運動が行われた。
発明家・技術者への破壊・追放活動(二次災害)
蒸気機関の開発をして技術者も、迫害の対象になった。
ケイの場合
1733頃:ケイはとびひの発明で効率を上げたが、失業を恐れた職工に家や機械を破壊されマンチェスターからフランスへ亡命した
ハーグリーヴスの場合
1764年頃 ハーグリーブスはジェニー紡績機で効率を上げたが、近所の家内工業者や職工に家をおそわれ、家を破壊され、ジェニー紡績機も破壊、街をついほうされる。その後ノッチンガムへ逃れるが、恵まれない待遇のまま死去。
アークライトの場合
1769頃 アークライトは水力紡績機で産業革命に大きく貢献し、自身も向上をもっていたが、機械や工場を破壊されてしまった。
議会に陳情した例
破壊活動ではなく、議会に陳情して機会を禁止するよう言った例もある。これはラッダイト運動というのは少し違うがあ、平和的な解決方法といえるだろう。
1629 オランダのライデンにて、リボン織機械にたいして職人が禁止にするよう議会に陳情。・・・じっさいに禁止になったという。
18世紀:アークライトの梳機械、議会に禁止するよう陳情される。
収束・その後
1812:機械破壊法(Frame Breaking Act)が制定され、機械の破壊が犯罪となることになった。
1813:議会は60人以上の男性を、ラッダイト活動に関連した犯罪で起訴した。起訴された者の一部はラッダイト活動をしていたが、30人の男性が無罪となった。これらの裁判は、ラッダイト運動の継続を思いとどまらせる見せしめ目的だった。
これらを契機に、運動は沈静化していく。その後は、ラッダイトという言葉は半ば象徴化、伝説化されていった。
ラッダイトは何者だったのか?
ラッダイトは史実ではどのような人物だったのかははっきりとはわかっていないが、ネッド・ラッドという人物だったとされる。この人は本名はエドワード・ラッドラムという工場労働者だったとされる。
18世紀半ば:生誕
1779頃:機会を破壊
1810年代:このころにはリーダーとして祭り上げられる表現が登場している。
1860年代:マルクスが資本論を執筆。ラッダイト運動ということばも出てくる
豆知識
・リカードも機械と労働者はつねに競争している、という言葉を残している。
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考察
・ラッダイト運動をやってもいいのか
ラッダイト運動は労働者側からしたら正当化される行為かもしれないが、迫害などはやるべきではない。上の例のように、議会に陳情するなどのほうが好ましい。失業syに対するセーフティネットの構築も必要である。