ヴィクトリア女王は血友病の保因者として有名です。ここでは、なぜヴィクトリア女王が血友病の保因者だったのか、なぜ現在のイギリス王室には発症者がいないのかなどを解説していきます。
ヴィクトリア女王に関連する血友病の発症者
ヴィクトリア女王には、血友病の保因者であったというのは世界史でも登場するほど有名な話です。
この発症者は、ヴィクトリア女王の孫やひ孫世代に多く見られますが、子供世代にもいます。
なかでも有名なのはロシアの皇族として生まれたアレクセイでしょう(後述)。
そして、血友病に関する出血により多くが命を落としています。人数としては、保因者も含めて10名程度いることがわかっています。まずは、それらの事例を見てみましょう。
ヴィクトリア女王の子孫の血友病の発症
事例を挙げると、息子のレオポルドなどがいます。
彼は最終的に、血友病の進行で体が弱っていた状態で転倒して膝から出血してしまい、それが止まらずに30歳の若さで息を引き取りました。
また、孫世代のフリードリヒ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットは、2歳の時に転倒した際に頭をぶつけ、脳出血を起こして死亡しています。(血友病では脳内出血も止まりにくく、これによって死亡を引き起こすことがある)
血友病のアレクセイとラスプーチン
この血友病の症状がロシアの王朝内でのラスプーチンの専横のきっかけになったという話はかなり有名です。
アレクセイはヴィクトリア女王からみてひ孫世代の人物ですが、血友病の患者であり、出血すると止血しにくいという症状を抱えていました。
そこで、ラスプーチンが祈祷をすると症状が良くなったことから皇帝夫妻(特に、皇后)がラスプーチンを徴用するようになった、という話です。
ちなみににラスプーチンが祈祷によって血友病を落ち着かせたという話は、血友病の進行の様子を考えれば説明することができます。
血友病は、出血すると止血しにくい、という事実はありますが時間をかければ止血することは可能です。
よって、ラスプーチンは適当に祈祷をして時間稼ぎをすれば、あたかも祈祷によって出血が止まったかのように見せることができます。
なお、アレクセイは血友病がきっかけの死因ではなく、革命勢力によって殺害されています。
ヴィクトリア女王の血友病が発生した理由
ヴィクトリア女王が血友病の保因者だったのはなぜでしょうか。
現代では、ヴィクトリア女王が保因者となったのは遺伝によってではなく、突然変異であったことがわかっています。
その理由としては、父親が高齢だったことが挙げられています。
ヴィクトリア女王が誕生したとき、父親のケント公エドワード・オーガスタスは52歳でした。
親が好例であるほど染色体の変異が起こりやすいといわれているので、このことが染色体に変異を引き起こして、ヴィクトリア女王が血友病の保因者になったと考えられています。
現在のイギリス王室などに血友病患者がいない理由
現在の王室には、この血友病にかかっている人物は存在しません。
これはなぜかというと、まず、現在の王室に連なるヴィクトリア女王の息子エドワード7世からその息子(孫)のジョージ5世には血友病の遺伝子が遺伝されなかったことによります。
また、そのほかの国の血友病の保因者の家系はすべて途絶えているからです。
これはX染色体がどのように伝わるのかを観察すれば知ることができます。
男子はXY染色体をもち、女子はXX染色体をもつというところから始めて、このうちX染色体に異常がある(小文字のxとおく)と血友病にかかります。
そうすると、下の表のように、X染色体のうちどれが遺伝するかによって、血友病の発生するかしないかが分かれるということがわかります。
父\母 | X | x |
X | XX 正常な女子 | xX 血友病保因者の女子 |
Y | XY 正常な男子 | xY 血友病を発症する男子 |
エドワード7世には、普通のX染色体が伝わったので、発病しなかったということが言えるわけです。
ほかの家系も、血友病を患っていた人物はその血友病によって命を落としているか、戦争、あるいは政変により命を落とし、血統が途絶えています。
このことから、現在のヨーロッパの王室には血友病の患者は存在していません。
まとめ
- ヴィクトリア女王が血友病の保因者だったということは有名で、その影響で血友病を発症した子孫が10名程度存在する。
- この理由としてはヴィクトリア女王の父親が高齢だったことが挙げられている。
- 血友病が遺伝しなかったか、その血統が途絶えていることで、現在のヨーロッパの王室には血友病患者が存在しない。
医学が発展途上だった時代には、出血しないように細心の注意を払うしかなかったというのがその恐ろしさを物語っています。