黒人(アフリカ系アメリカ人)の発明家について解説する。長い間正規の教育を受ける環境にいなかった彼らだが、人種に関係なく創意工夫が可能であること、遅れて教育を受けても成果が出せることを証明した人たちである。
ジョージ・ワシントン・カーヴァー
奴隷の子供で、農場主モーゼスカーヴァーの所有物だった。南北戦争後の生き残りで、旅にでたあと植物に関心をもち、20代の後半に高校卒業資格をとる。
1894年、30代を越えてアイオワ州立大学で黒人初の卒業生となり、96年には、修士課程をとる。
農業の知識をもとに普及サービスをはじめ、タスキーギ研究所にむかえられる。
そこで、輸作や、大豆などをうえて養分を補給する方法を発明した。
有名なのは、ピーナッツから、インク、プラスチック、コーヒーなどのさまざまな応用製品ををつくったことである。ピーナッツはそれまで作物扱いされていなかったが、綿花につぐ作物になった。
1990年に発明者殿堂に殿堂入りする。これはアフリカ系アメリカ人として初の快挙だった。
カーヴァーに関連する黒人研究者
ブッカー・ワシントン
奴隷から身を起こし、黒人の職業教育の先駆者になった。
パーシー・ジュリアン
緑内障の治療薬であるフィソスチグミンの合成を研究する。間接のリューマチにきくステロイドやコルチゾンを安く作る方法を開発。
1990年には、カーヴァーとともに「発明者の殿堂」にはいる。
ノーバート・リリュー
発明家ヴァンサン・リリューと黒人女性コンスタンスヴィヴィアンの子供。(なので、両親とも黒人というわけではない)ヴァンサンは画家のエドガー・ドガの大叔父。
1830年代に砂糖精製の三段蒸留器を開発。帰国後、砂糖の製造に成功し、数々の賞をとる。
ドガの描いた肖像画のうちのひとつはリリュー親子かもしれないらしい。
白人にも影響
のちにウッドワード・ホフマン則の発見がもとでノーベル賞をとるロアルド・ホフマンは第二次大戦のあと難民キャンプでカーヴァーの伝記を読んでいたという。