\閲覧ありがとうございます!当サイトではリンク広告を利用しています/
チェスをする機械(オートマタ)である「トルコ人」について年表と仕組みの解説をする。
もともとは各国の珍しい奇術やからくり仕掛けなどを見ていた女王マリア=テレジアを驚かせようと、機械技師のケンペレンが製作しようとしたのがきっかけだった。
1760年代:ケンペレンが宮廷の技師ににんめいされる。
1769年:ケンペレン、奇術師のトリックを見破るように言われ、回答できず。「もっとすごい物を作ってみせる」と宣言、製作開始。10か月で作り上げる。
1770:宮殿で展示会。ここがデビュー。
1781:ヨーロッパの展示旅行を開始。
1804:ケンペレンが死去。生前は仕組みがばれることはなかった。
1854:フィラデルフィアの博物館の火事により、焼失する。
主に、仕組みはどうなっているのかが常に論争になった。
マリア=テレジア・・・製作のキッカケになった女王。敗北後、トルコ人をそばに置くよういうが、整備が必要だから、とケンペレンにかわされる。
ナポレオン・・・ヨーロッパの展示旅行で敗北。悔しがったらしい。
ベンジャミン・フランクリン・・・ヨーロッパの展示旅行で敗北。
ただし、チェスのうまい貴族などとは戦ってもトルコ人が負けている。
内部の引き出しや機械は奥行きの3分の1程度までしか伸びておらず、その後ろに人が隠れるスペースがあった。
スライドする座席部分があり、内部を見せるときにずらして見せることでなかの操作者(チェスプレーヤー)を隠すことができた。
チェスの駒は裏側から磁石で固定できた。
中のプレイヤーには明かりがろうそくしかなく、この煙が出ることになるが、トルコ人のキセルがはく煙がこれをカムフラージュした。
派手に動く歯車などはダミーで、試合進行に影響はない。
なお、具体的にプレイヤーとして誰が入っていたのかは、本人が明かしている場合もあるが、不明な点がある。チェスの腕前は相当なものがないと勤まらないはずであるが。
腕の動きは、製図機械と同じ仕組みで、小さな動きを拡大するしくみを採用することで、なかのプレイヤーがコントロールしていた。
パイプに空気を通して声のようなものをダス仕掛けは当時のオートマタに採用されている。この人形は「チェック」ということができた。
・ケンペレンは1765年には宮殿の水路に水をひく水力モーターを開発している。
・修復にかかわった医師ミッチェルは火事に際して、「燃え盛る炎の中でチェック!チェック!と叫ぶトルコ人の最期の声をきいた」と記している。