トマト祭りは、スペインの奇祭として有名です。ただ、どうしてトマトを投げ合うようになったのだろう?、と思う人もいるのではないでしょうか。ここでは、トマト祭りの起源や歴史を詳しく年表風に解説していきます。
トマト祭りの起源は若者のおふざけだった?!
トマト祭りの歴史を解説するにあたって、起源は欠かせません。
いくつかの説がありますが、スペイン語の文献などでは、以下が起源として言われています。
トマト祭りの起源
1945年8月の最終水曜日に、のちにトマト祭りになる出来事が起こります。
この日は、伝統的な祭りとして巨大な人形を使ったパレードが行われており、楽団が演奏するほか、見物人も多くいました。
また、このパレードのあった通りには青果店も店を開いており、軒先にはトマトが置かれていました。
しかし、そのうち行列の中で押し合いが始まってしまい、怒った参加者の一人が青果店の店頭にあったトマトや野菜を投げ始めました。
この投げ合いが面白かったのか、翌年にも幾人かの若者が同じ日に、今度は自分たちでトマトを持ち寄って同じような「祭り」を開催しました。
この時は、地元の警察によって騒動が鎮圧され、当局も祭りを禁止しますが、住民の参加したいという熱意が強く、以降も同じような形式でトマトの投げ合いが続いていきます。
以上が、トマト祭りの起源といわれているものです。
世界の祭りには、起草者の名前が残っていて、その人が提案して行事をするようになったものも数多くあります。
一方で、自然発生的に祭りになるということもあり、トマト祭りは起源が最近ながら、名前の残っていない若者が始めたという発祥になっています。
この点もユニークですね。
トマト祭りは中止されたこともある
しかしその後、トマト祭りはついに政府に目を付けられることになります。
1950年代初頭には、フランシスコ・フランコ政権によって宗教的な意義がないという理由で禁止され、この時は逮捕者も出ました。
しかしここでも、人々は禁止に抗議し、1957年には、抗議のしるしとしてデモ行進が行われました。
これは「トマトの埋葬」と呼ばれているようです。
デモの内容は、巨大なトマトが入った棺を住民らが運ぶというもので、音楽バンドが伴奏し、葬送行進曲を演奏するというパレードのようなものでした。
そしてこの抗議活動は成功し、1959年にトマト祭りは最終的に許可され、正式な祭りとなりました。
そして世界でも有名になる
その後、トマト祭りはテレビで取り上げられたこともあってスペイン全土で有名になります。
以来、トマト祭りの参加者も増加していき、海外からも観光客が参加するようになりました。
2002年には、ついに観光省によって国際観光フェスティバルに指定されました。
また、2014年には、BBCの選ぶ「世界の危険な祭り」において10位に選出されています。(なお1位はスペインの牛追い祭り)
その後、世界各地にも派生していき、各国にもこの祭りと同様のトマトを投げる祭りが行われている地域があります。
まとめ
- トマト祭りの起源は、パレードの最中に発生した喧嘩の際に、青果店の軒先にあったトマトをぶつけ合ったのが始まり。
- そのあと、各自でトマトを持ち寄ってぶつけ合うようになり、現在のトマト祭りが出来上がった。
- 政府からも禁止令が出たことがあるが、抗議デモとしてトマトの埋葬を行った結果、再び行われるようになった。
- 現在では、『世界の危険な祭りトップ10』に選出されるまでになっている。
翌年にわざわざトマトを持ち寄ってまで投げ合ったというのが面白いです。よほどトマトをぶつけ合うのが心の琴線に触れたのでしょうか。