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中世ヨーロッパのウスター侯(ウスター侯2世、本名はエドワード・サマーセット)は、じしんも発明をたくさん行ったほか、機械に関する情報をまとめ、書物をのこした。その中には自分の力だけで動き続ける車輪のアイディアがあり、永久機関のひとつのモデルとなった。
1648:ウスター侯、車輪の形をした永久機関を考案。
1.車輪の内側にたわませた形状のスポークを何本もつけておき、なかにボールをいれる。
2.外側に転がったボールが釣り合いをくずし、回転させる。
3.下まで転がったボールはスポークが掬い上げる
4.掬い上げられたボールは軸の方へよせられる
5.以下、繰り返し・・・
ウスター侯自身は、この永久機関の設計図を残してはいないが、情報から上のものだと推測されている。
これは永久機関としてたびたび取り上げられる、転がるボールを使った非平衡車輪の初期の例であり、その後の永久機関のひとつのフォーマットとして変種が考案され続けた。
この装置も腕の先に重りが付いた車輪型の永久機関と同じく、軸の左右でモーメントが一致してしまうため、動くことはない。
スポークの形などを改良しても、ボールの重さを変えたりしても、同じことである。
ここでは、ウスター侯が発明したほかの機械について記述する。
1642:水のくみあげポンプを発明。こちらはきちんと動くもの。
水を蒸気機関により高く吸い上げ、噴水や、水の供給に使っていた。この蒸気機関の痕跡は、いまも城に残されている。
これは水蒸気を作ってからバルブの動作によって蒸気を逃がした後容器内に真空状態を作り出し、その陰圧を使って水を吸い上げるというもので、ワットの改良がくわえられる以前の蒸気機関でよく見られた形である。
ウスター侯は自身の城を守るために、上記の蒸気機関を応用した防衛装置を作っていた。それは水を吸い上げた状態で上から流すもので、敵の兵士を軒並み押し流すことができるものだった。また、蒸気管の作動する音は、当時の住民に対して非常に恐ろしい思いをさせたと言われている。
1650年代:懐中時計、置時計、鉄砲、馬車の安定化装置などで4つの特許をとっている。
1655:100以上の発明を記した本を執筆している。しかしながら、ウスター侯が清教徒革命で王党派についたということから、失われてしまったようである。