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熱の移動を利用して動き続ける第2種永久機関は、エネルギー保存則と熱力学第2法則の発見後も試みられていた。その例がトリプラーの液体空気機関である。液体空気を低温側、大気を高温側として装置を動かし続けようというもの。しかし、摩擦熱で低温側が温度上昇してしまうのでいずれ停止する。
18世紀後半:熱力学第2法則の発見、第2種永久機関の不可能性が示される。しかし、これが民間に知れ渡るまでには時間がかかり、永久機関への挑戦は続いた。
1882:アメリカでガンジー(ギャムジー)教授、ゼロモーターを考案。・・・まずシリンダー内のアンモニアが膨張してピストンを動かし、膨張するとアンモニアが液体に戻るので、自動的にボイラーに流れる・・・というサイクル。しかし、温度が一定になってしまうのでやがて停止。
1880年代:海軍の将軍がゼロ・モーターに注目。・・・燃料のいらない軍艦がほしかったという願望にかなうものだった。
同時期:当時のアメリカ大統領だったガーフィールド大統領も視察したという。もちろん、思った通りに動くはずはなかった。ガーフィールドも残念だったことだろう。
19世紀:第2種永久機関、大気や海水の熱を利用する方針がとられ始める。
1899:トリプラーの液体空気機関、考案される。・・・液体空気が大気の温度で膨張し、ピストンを動かす。エンジンがまた空気を液化し、また膨張する・・・というサイクル。これによって例えば1ガロンの液体空気から2ガロンの液体空気を作ることができるので、差し引き1ガロン分を自由に使うことができる、と主張した。
直後:トリプラーの研究室に物理学者が視察し、エネルギーを取り出すことはできないと批判。
1912:「永久運動理論」という小冊子が発行される・・・永久運動の船で移動する、という構想。よく第2種永久機関の例として引き合いに出される、「海水の熱を利用してスクリューを回し、進み続ける船」の元ネタと思われる。
・トリプラーは自身のマシンを永久機関と呼ぶことに抵抗を示し、あくまで液体空気機関という名前にこだわったという。
・第2種永久機関はなぜ試みつづけられたか
第2種永久機関は、熱力学第2法則に反する試みとして理解されている。この法則は工学的に言うと「熱源が一つだけの機関は動き続けない」と表記することができる。しかし、エネルギー保存則より直感的には理解しにくいので、法則の発見後も多くの人が永久機関を夢見てしまったと考えられる。
・トリプラーの勘違い
ではなぜトリプラー余った分の液体空気ができると主張したのだろうか。という疑問がわくが、おそらく最初の温度差が残っているうちに、はた目には調子よく機械が動いているのを見て、液体空気を作り出せると勘違いしたものと思われる。
ただ、永久機関と呼ばれるのが嫌だったということは、第1種永久機関が失敗するという教養はもっていたということを示唆している。