人間機械論の要約した内容について解説する。
目次
目次と簡単な概要。
人間機械論 ・・・人間の体は機械である。各部位は、部品である。栄養を取ることでぜんまいをまくのだ。 |
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1.ハルレル氏に捧ぐ献辞 |
2.医学の観察記録として 幻肢痛やトランスジェンダーの話が出てくる。 |
3.動物の各部位は、部品として作用する。 ・死んでも、筋肉をつつくと動く。 ・心臓などの器官を取り出して温めると、また動き始める。 |
4.神経は弦のように脳に振動を伝えている。その動きが記号を解釈している。 |
5.哲学書として 神の力があるわけでもなく、肉体は刺激に反応して動いているのみ。また死後の世界はない。 |
6.反射について 殴られるときに目をつぶるのは、機械的ではないか。 |
歴史と考察
18世紀に生きた医者件学者であったド・ラ・メトリは、その生涯でいくつかの本を執筆している。この中で最も有名なのが『人間機械論』である。中身は章立てが全くなく、体系的にはなっていない。そのためやや意味するところが取りにくいが、要約すれば以上のようになると思われる。
また、この書物はまだキリスト教の力が強かった時代にあって、宗教界からの強い抵抗を受けた。
ラ・メトリの生涯とともに年表で振り返る。
発明発見の背景
この「人間機械論」には、デカルト的な考え方が垣間見られる。デカルトは「機械論」を発表するなどして、神の医師などではなく物質的に物事を考えることに先鞭をつけた人物であった。このような著作路ラ・メトリも学生時代などに濡れていたと思われる。
ラ・メトリの生涯
1709年にラ・メトリは、ブルターニュ地方で生まれる。
1733年には、博士号をとっている。この時の年齢は、弱冠24歳であり、かなり優秀な人物であったことがわかる。このまま、人体や医学に関する研究をしていたらしく、「眩暈論」などの著作を書いている。実は、博士論文がどのような題目であったのかは判明していない。ただし、直後のめまい論から、これに関するものであったと考えられる。
人間機械論
1747年に「人間機械論」が出版される。この時、38歳であった。この直後には宗教関係者から激しい攻撃を受ける。「カトリックもルター派もカルヴァン派も、一人の哲学者を迫害するために狂奔した」、といわれている。宗派の対立も、科学に対抗するためには一度手を結ぶ、というところだろうか。この後、彼は迫害を避けるため研究拠点を移すなどしていたようであるが、処刑などのひどい目に合うことはなかった。
1751年にラ・メトリは死去した。
発明発見の意義
この考え方は、人体を合理的にとらえることの重要性を見せている。この著作から、キリスト教的でない哲学や、生物学、医学の発展が進んだという言い方もできると思われる。
感想
・宗教の反発
当時はまだ宗教が科学以上に影響力のある時代であった。キリスト教的な価値観では、人間は紙がおつくりになった特別なもの尾であるので、このような書物は当然認められないわけである。また、死後の世界までもあっさりと否定しているので、なおさら教えに背くということで、非難されたのだろう。
・つつくと動くのは、電気的なものか
ラ・メトリは、つつくと動く部位のことを話しているが、これが金属棒であり、触れたときに動いてというのであれば、動物電気を発見していた可能性が出てくる。もしそうだとすれば、ボルタやガルヴァーニが動物電気について議論を展開する数十年前の話ということになる。
・オートマタのはなし
この中で、オートマタに触れている個所が出てくる。ゆめいなヴォーカンソンのアヒルのオートマタの話が言及されている。本人は、オートマタを見ることで、人体も似たようなものと推測し、この持論を作り上げていったと思われる。
豆知識
・ラ・メトリは学位をとる過程で「恋愛は健康によいか」などという論文をかいている。
・ラ・メトリはものが燃えることに関してはフロギストン説の支持者であった。
・食後にビリヤードをしていて腹痛をおこし、亡くなった。