実際のギロチンの処刑失敗集-ルイ16世は太すぎた?他の失敗も

悪魔の発明
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ギロチンは本来は「人道的で確実な」処刑方法として考え出された処刑機械です。しかし、少ないながら処刑失敗の可能性は0ではなく、実際に失敗した事例もあります。ここでは、ルイ16世をはじめとして、他の貴族や殺人犯の失敗事例について年表で記述していきます。

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ギロチンの処刑失敗の年表!ルイ16世以前にもあった

ギロチンの処刑失敗は、実は実用化前の試行錯誤の段階では歯の設計が定まっていなかった子tもあり、たびたびあったようです。

実用化前夜のギロチン失敗

1792年4月17日には、試作品が完成します。

ここでは、試しに羊などの断頭をしたあと、人間の死体で実験をしました。しかし、首の太い死体は切れず失敗し、刃の部分を重くすることが決まりました。

なお、最初に処刑されたのは追いはぎを働いた犯罪人だったらしいことがわかっています。

王族・貴族の失敗!ルイ16世の首は太すぎた?

1793年には、世界の歴史上でも有名なルイ16世の処刑がおこなわれますが、一度失敗したと伝えられています。

まず、君主として立派なスピーチを始めてしまい、民衆が盛り上がってしまったのでジャコバンからあわてて処刑台へ誘導されたという失敗めいた話(?)があります。:歴史人物の最期の言葉【死刑囚編】

その後、ギロチンは作動しますが、ルイ16世の首が太すぎるあまり、一度首のところで刃がひっかかってしまったといわれています。

また、一部の目撃証言では、刃は首に落ちず、後頭部から顎のあたりを通過したともいわれています。

なお、この年表からもわかる通り、彼はフランス革命のおこった年に速攻で処刑されたわけではなく、4年ちかくいきながらえていることがわかります。

最終的には切断

1793年には、デュ・バリー夫人という貴族のギロチン使用時に中っ出されるという失敗がありました。

彼女は恐怖に耐えきれず泣きわめき、現場は一時騒然となり、処刑も中断された。数分後に再開され、「今一度、お慈悲を」が彼女の最後の言葉であったと伝えられています。

犯罪人のギロチン失敗

犯罪者に対するギロチン使用でも失敗は報告されています。

1836年には、犯罪者ピエール・フランソワ・ラスネールに対して使用されますが、ギロチンの刃が溝に引っ掛かって上手く落ちず失敗、再施行で成功しました。

1939年には殺人犯ヴァイドマンの処刑が行われます。

執行人を担当したデフルノーが、この時が初当番だったため、初仕事で手際が悪く2回失敗し、3回目でようやく首をきることができました。

豆知識

・ギロチンが使われた時期の処刑執行人は生涯のうち長きに渡って担当することが多かったようです。また、安月給とは限らず、妻帯もできました。

・ルイ16世はギロチンの完成にちょっとだけ関わっていたことで知られています。一説によると、ギロチンの葉の形を斜めの形にしたのは試作品の切れ味を見たルイ16世によるアドバイスだったとされています。(しかし、その後自分が切断されるとは思っていなかったのではないでしょうか。)

・丸い枠の中でカットをするものを「ギロチンタイプ」ということがあります。下はペット用爪切り。

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考察

・失敗の確率
失敗とはいっても、斧で処刑して、何度も切り付けなければならないケースが多発していた時代に比べればまったく平穏なものである。何度も打ち付ける必要がない。ギロチンで処刑された人の数が5千人としても、失敗の確率は0.1%である。

・人道的とは言っても、見た目がやばい
ギロチンは確かに確実ではあったかもしれないが、正直、見た目のグロテスクさでは群を抜いていると言っても良いだろう。このような装置で公開処刑を採用してしまったことが、その後のネガティブイメージの原因になっていることは否定の仕様がないであろう。

まとめ

  • ギロチンは小野よりも確実だという理由で採用されたが、少数ではあるがギロチンによる処刑失敗は実際に起こっていた。
  • この失敗事例としてはルイ16世が有名で、首が太すぎで止まってしまったとか、首ではなく後頭部から顎に刃が落ちてしまったなどの失敗が伝わっている。
  • 他にも貴族や、犯罪者のギロチン失敗が少数ではあるが存在する。