【画像】デーモンコアの被爆事件の7名の体の変化…2人死亡

悪魔の発明
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デーモンコアは2名の科学者を死亡させたほか、数名の科学者に後遺症を与えたことで有名な核爆弾用のコアです。この事故で被爆(被ばく)した研究者はどうなったのか、調査しました。

※ややショッキングな画像(手の腫れ、表皮の剥がれ)が含まれます。ご注意ください。画像は小さめに乗せています。

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実は2回あるデーモンコアの被爆事件

デーモンコアの被爆事件ですが、これは2回あったことがわかっています。有名なマイナスドライバーで操作したら手が滑ってしまったという事件は、2回目のほうです。

一度目の事件は、ハリーダリアンがデーモンコアの上に実験で使うブロックを落としてしまったことで起こりました。このことで、臨界状態になってしまい、ダリアンは被爆しました。

二回目の事件は、マイナスドライバーをコアの中間にはさみ、でコアの半球を微妙に近づけたり遠ざけたり、という操作をすることで、放射線量の変化を見る実験でした。

この実験の時に、手が滑って半球が合わさってしまい、反応が起こってしまったというのが概要です。

なお、初めは当然デーモンコア(悪魔のコア)という呼ばれ方はされておらず、「ルーファス」というのがコアのコードネームでした。

デーモンコアで被爆した人

デーモンコアの事件の悲劇的なところは、事件から短期間に死者が出てしまった点でしょう。これ以外にも、後遺症を残った人物は複数します。

死亡者は2人

死亡したのは、実験を自らの手で行っていたルイ・スローティン、ハリー・ダリアンです。

ルイ・スローティンは、2回目の事故でドライバーを動かしていたその人で、間近で被爆しました。

引用:https://blog.nuclearsecrecy.com/2016/05/23/the-blue-flash/

上の画像は病院で撮影されたものです。指先に変色がみられるほか、コアを持っていた左手は特に晴れてしまっているように見えます。

その結果、急性放射線症候群、消化器病巣により事故の9日後に死亡しました。

ハリーダリアンは、一回目の事故で被曝し、急性放射線症候群、造血病巣により事故から25日後に死亡しました。

上の画像はダリアンの右手ですが、表皮がはがれてしまっているのが確認できます。

後遺症は5名程度

以下は事故後、後遺症が残った、あるいはしばらくの入院が必要だった同僚のうち、医学的な追跡調査が行われた人物のその後です。

ロバート・J・ヘマーリーは、1978年(事故から32年後)、急性骨髄性白血病のため62歳で死去しました。

アルバン・グレイブスは、肩越しにデーモンコアを見ていたことで被爆しました。体のほとんどはスローティンにさえぎられていたので致命傷は負わなかったものの、放射線中毒により数週間の入院を余儀なくされました。

1965年(事故から19年後)、代償性粘液浮腫と白内障が悪化し、心筋梗塞により死亡しました。

マリオン・エドワード・シースリッキーは、1965年(事故から19年)急性骨髄性白血病のため死去しました。

ドワイト・スミス・ヤングは、1975年(事故から29年)、再生不良性貧血と細菌性心内膜炎により83歳で死去しました。

ほかにも事件当時現場にいた人はいますが、その後の医学的研究には参加しなかったり、足取りが不明だったり、普通に自然死だったり、というケースです。

デーモンコアの現在

その後のデーモンコアは、本来では核実験で使われる予定でした。その実験は有名なクロスロード作戦であり、デーモンコアは3回目の実験で使われる予定でした。

しかし、2回目での実験が予想外に核汚染が広まったことなどが原因で、三回目の実験は中止になりました。

そのため、デーモンコアは再利用のために溶かされ、材料はほかのコアに利用するためにリサイクルされました。

とすると、いまもデーモンコアの溶かした後の一部を使ったコアは世界のどこかに残っている可能性があるのかもしれません。

まとめ

  • デーモンコアで被爆した研究者は、2名が死亡、他数名に後遺症が残った。
  • その後のコアは溶かされて再利用された。

この時マンハッタン計画に参加していたエンリコフェルミは、「そんな調子では一年以内に死ぬぞ」と忠告していたといわれています。その通りになるとは思ってなかったのではないでしょうか。