錬金術の歴史2【中国:練丹術】

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中国でも古代には錬金術が盛んになった。金の変成にも挑戦したみたいだが、むしろ不老不死の実現を目標としていたのがうかがえる。それを実現するための薬が「丹」であると考えることができる。しかし、あまり医学的な側面は発展しなかったらしい。また、化学てきな物質の探求などは例外を除言うてほぼやられていない。
 主な目的は不老不死の実現。

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年表

前4世紀 :騶衍(すうえん)、中国最初の錬金術師。

紀元前175:文帝、錬金術の許可をだす。

前2世紀:景帝、錬金術禁止の勅令

武帝、お抱えの錬金術を雇う。蓬莱の不死の人々

前60年:劉向(りゅうこう)、不老不死の研究、金の制作を試みる。失敗。

120年頃:魏伯陽(ぎはくよう)、金を原料にした不死の丸薬の研究。

4世紀:抱朴子(ほうぼくし)、不死の霊薬。辰砂の研究。モザイク金(硫化スズ)の製法

辰砂

1000年頃:このころまでに、練丹術は衰退。不老不死は果たされなかった。・・・これ以降の時代の中国では、どの王朝でも錬金術が試みられることはなかった。

豆知識

・錬金術禁止令は、錬金術研究にのめりこんでしまう人が資金でお金を使い果たしてしまい、山賊などになってしまうからだといわれている。

・抱朴子とは、「純朴さを抱いている先生」という意味である。(子は子供ではなく、先生という意味)

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考察

・不老不死と練丹術
中国の錬金術が不老不死を実現できなかったことは明らかである。次第に勢力を失うにつれて、仙人になるための修行や、神仙思想に実現の方法論が移ろっていったものと思われる。金属の変成や物質の理解、化学実験ではなく、なぜそこまでして不老不死にこだわるのかはわからないが、民族性的な部分に答えがあるのだろうか?

・練丹術と日本
蓬莱山の話が出てくるが、これを見るとやはり竹取物語が連想される。蓬莱山から枝を取ってこいと言われた求婚者は最終的に鍛冶屋にそれっぽく作らせて課題をクリアしようとしたが、いかさまがばれてしまった、という筋である。このことから、錬金術ん考え方が日本にも伝わっていたと考えることもできる。しかし、日本ではその方面の研究がなされた形跡がとぼしい。

・もたらしたもの
抱朴子は例外的に化学物質の生成に取り組んでおり、作ったものは科学的な面でも興味深い。これらの製法を記載したことは成果といってよいと思われる。なお、辰砂は赤いので、賢者の石が赤いのもここからきているのかもしれない。