歴史人物の最後の言葉をまとめた。ここでは、死刑囚編からスピンアウトする形で、日本人の死刑囚の最後の言葉をまとめた。:歴史人物の最期の言葉【死刑囚編】
法的な死刑制度が確立されたのは明治の後であるので、対象の人物もその時代以降に限るが、基本的に戦後に死刑が執行された人物が主となる。また、執行された人物に限り、病死などは含まない。
なお、公的に確認できる最後のメッセージや、遺書の内容なども含みます。随時更新。
明治・大正
幸徳秋水
幸徳秋水が収監され監獄でかいた「死刑の前」より。よく知られているが大逆事件で死刑判決を受けた。この文章の中で死刑に対する考え方や運命観を述べている。死刑に対する恐怖心などは特になかったようである。
昭和
正田昭
バー・メッカ事件で死刑判決。この事件はいわゆるアプレゲール犯罪の一例として知られる。証券ブローカーが殺された事件。事件後にキリスト教に入信。
この例からもわかる通り、前日に通知するのが慣例だったが、のちに前日に知らされた死刑囚が自殺する事件が発生してから、当日に知らせることに変更になった。現在では、その日になってみないと死刑になるかどうかわからないということである。
小原保
吉展ちゃん誘拐殺人事件で死刑判決。最後の言葉はいくつか伝わっているようだが、平塚刑事に対する言葉を残して死刑になったことは間違いなさそうである。
平成
宮崎勤
連続幼女誘拐殺人事件で死刑判決。なお「あのビデオ、まだ見ていなかったのに」という言葉には、明確な根拠がないとされる。しかし、死刑確定後は雑誌などの差し入れができなくなるといわれると、「これは困ったな」と動揺した様子をみせたという。これが曲解されて伝えられたものと考察される。
この事件に関しては俗説が多く形成された。
・押収されたビデオテープのほとんどが猟奇的な内容だったというもの。これも事実とは異なっており、ほとんどは通常のテレビ番組だったことがわかっている。
・オタクバッシングの形成がされたと言われる。つまり、「オタク=犯罪者予備軍」といったものである。これはもはや今日においては、犯罪とオタク趣味の間には何ら妥当な相関関係がない。
宅間守
獄中結婚した妻にあてた遺言。附属池田小事件で死刑判決。しかしながら、反省の弁などは最後までなかったとされる。裁判でも、開き成るような言動を繰り返した。また、執行後の献体についても、不快感を示している。
麻原彰晃
四女。
遺体の引き取り先について問われた際に答えた言葉。オウム事件の教祖として死刑執行。この後、担当員に念押しされると、「グフッ」という返事(?)とも動揺ともとれるような声を出した。同じ日には、数名のオウム事件の犯人が死刑執行されている。
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