黄金の国ジパングの由来は金山?稲穂?説4つを考察!身近なアレが正体だった?

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「黄金の国ジパング」とは、日本がかつて世界に紹介されたときに使われた伝説的な呼称です。

特に13世紀のヨーロッパで知られるマルコ・ポーロの『東方見聞録』に登場することで有名になり、日本が黄金に満ちた豊かな国であるというイメージが広まりました。

しかし、この「黄金の国」という表現は、どこから来たのでしょうか?

本当に金があふれていたのか、それとも何か別の象徴や誤解から生まれた言葉だったのでしょうか?

この記事では、「黄金の国ジパング」の由来として考えられている4つの説を紹介・考察し、それぞれの信憑性についても検討していきます。

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黄金の国ジパングとは

「ジパング(Zipangu)」とは、マルコ・ポーロが13世紀に書き記した『東方見聞録』の中に登場する言葉で、日本を指す名称です。

元々は中国での日本の呼称「ジーペン・グオ(日本国)」が元となり、それがイタリア語やラテン語を通じて「ジパング」と表記されるようになったと考えられています。

マルコ・ポーロは日本について、「黄金の屋根を持つ王宮があり、金が豊富で絹の生産も盛んな島国」と述べています。

この記述により、ヨーロッパでは日本がまさに「黄金に輝く国」としてのイメージを持たれるようになりました。

黄金の国ジパングの由来

金山が由来という説

最も広く知られている説のひとつが、「日本に豊富な金山があったため、黄金の国とされた」というものです。

実際、古代から中世にかけて日本では金の採掘が行われており、特に佐渡島や東北地方には大規模な金山が存在していました。

佐渡金山や奥州金山

新潟県の佐渡島にある「佐渡金山」は、江戸時代を通じて日本最大級の金鉱山でしたが、それ以前の中世にもすでに採掘が行われていたとされています。

マルコ・ポーロの時代には、佐渡の金の噂が中国に伝わっており、それがさらに西洋に伝播した可能性があります。

また、東北地方の「奥州金山(現在の岩手県など)」でも金の産出が盛んでした。

12世紀には平泉の奥州藤原氏が金を用いて華麗な寺院を建設しており、これは後述する中尊寺金色堂にも関係します。

中尊寺金色堂が由来という説

岩手県平泉にある「中尊寺金色堂」は、1124年に奥州藤原氏によって建立されました。

引用:https://www.chusonji.or.jp/know/konjikido.html

その名の通り、建物全体が金箔で装飾されており、内部には金色に輝く仏像や装飾が施されています。

マルコポーロの語った「黄金の屋根を持つ王宮」の描写とも合致します。

この金色堂の存在は、まさに「黄金の国」にふさわしい建築と言えるでしょう。

きらびやかな建築ができたのも上で述べた奥州金山によって金が多く採掘できたからです。

平泉は当時、奥州藤原氏による繁栄の象徴であり、中国の宋などとの交易も盛んだったため、このような金の使用がアジア大陸に伝わり、それがヨーロッパまで噂として届いた可能性は十分にあります。

中尊寺金色堂は、実際に現存する建築物としても貴重であり、「ジパング」の語源を探るうえで非常に重要な手がかりとなる文化財です。

稲穂が由来という説

次に紹介するのは、やや詩的・象徴的な説ですが、「日本の黄金色に輝く稲穂の風景が由来である」というものです。

日本は古くから稲作が盛んで、秋になると田んぼ一面が黄金色に染まる風景が広がります。

これを船で訪れた外国人が見て、「まるで金に包まれた国のようだ」と表現した可能性もあります。

確かに、金そのものよりも、自然の中で見られる「金色の光景」に感動した結果、「黄金の国」というイメージが生まれたというのも、文化的背景を考えれば納得のいく説です。

茅葺き屋根が由来という説

最後に紹介するのは、「茅葺き屋根(かやぶきやね)」が由来とされる説です。

茅葺き屋根は、日本の伝統的な建築様式のひとつで、主にススキや稲わらなどを素材として使って作られています。

引用:https://suginoko-sato.jp/?page_id=297

この屋根は、葺きたての状態だと陽光を浴びて金色に輝くことがあります。

特に海辺の村で茅葺き屋根の家が並んでいると、海から見たときに「金の屋根」のように見えるといいます。

もし航海中の商人や旅人がこのような光景を目にしたとすれば、「金色の屋根を持つ国」として印象づけられたとしても不思議ではありません。

これは「金そのもの」ではなく、あくまで視覚的な印象による命名だったとする考え方です。

まとめ

「黄金の国ジパング」という表現は、単なる伝説ではなく、実際に当時の日本の文化や自然、経済活動に根差した背景が存在します。

  • 金山の存在は、物理的に「黄金の国」と呼ばれるに足る実績を持っていました。
  • 中尊寺金色堂は、宗教と権力の象徴としての金の使用が印象的であり、外部への強烈なアピールとなったでしょう。
  • 稲穂や茅葺き屋根のような自然由来の「金色の風景」は、訪れた者に詩的な印象を与えたと考えられます。

これら4つの説は、いずれも日本という国が「黄金の国」と称されるに十分な理由を持っていたことを物語っています。

ジパングという言葉は、西洋から見た幻想の国としての日本を象徴する一方で、日本人自身が築いてきた文化や風土の豊かさを表す一面もあるのです。

現代に生きる私たちも、この「黄金の国」という呼び名に込められた意味をあらためて見つめ直すことで、日本の魅力を再発見できるかもしれません。

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