鉄砲伝来について、1543年以前に伝来していたという説はいくつかある。その移設をまとめた。
教科書などでは1543年の種子島に伝来して日本に広まった(ゴロ合わせでは「以後予算でつくります」)というのが定説ではあるが、果たして真実はいかに。
目撃談
僧侶の記録
1466:相国寺の僧侶 きけいしんずい が、足利将軍を訪れた琉球の使節が帰り際に「鉄放」をうって驚かせた、と記録に残している。
これが鉄砲だとすると、1543の80年くらい前のことである。
1468:太極という僧侶、応仁の乱のとき、東軍の陣で飛砲火槍をみた、と記録に残している。
上二つは、爆竹の類などという説や、単に激しい屋による様子を描写したものという説がある。
でも飛砲火槍は、中世に中国で開発されたロケット兵器っぽくもある。
倭寇の記録
王直などの倭寇が活躍した1521ころから、火砲の記述がある。また、倭寇の貿易商品のなかには、火薬に不可欠な硫黄、硝石なども含まれていることから、鉄砲が倭寇によってもたらされていたという説も存在する。
伝来後は、ポルトガル人というよりは、倭寇が主に輸入の主体だったということは考えられている。
「鉄砲記」自体がのちの時代の資料
鉄砲伝来説の定説の根拠は「鉄砲記」の記述によっているが、この書物自体が1543の当時ではなく、ややのちの時代の資料である。このことから、信憑性に疑問を持つ余地がある、というのが移設が多く出る同期になっている。
江戸時代の資料
江戸時代に作られた資料では、種子島より早い伝来説を書いているものもある。例えば、
・1500年代初頭に南蛮から足利将軍家に献上された
・同じような時期に種子島から将軍家につたわった
あるいはほかの大名が出てくるものでは、
・1500年代前半に西国へ伝わった
・同じ時期に小田原北条家へ伝わった
・同じ時期に武田家へ伝わった
などがある。
戦国大名の使用例
1524 :安芸大野城の合戦で石疵による負傷者がでた、という記録があり、鉄砲のよる傷かもとも考えられている。
1542 :尼子の赤穴(あかな)城を大内が攻めたとき頭当石があった、という記録があり、これは鉄砲による傷といわれている。尼子氏の側にも鉄砲20丁をもちいた、とあり、双方の記録が一致する。
呼び方まとめ
火矢・・・火薬で放つ初期の火砲をこう呼んだと思われる。
石銃・・・石の弾をはなつ方式の銃と推測されている。
石弓・・・弩とかいて、クロスボウガンを表すこともあるが、これは日本ではあまり普及しなかった。
団子銃・・・金属の弾を打ち出す方式の銃をこう呼んだと推測されている。
1549年に何があった?
鉄砲伝来を調べようとすると検索ワードの予測に「鉄砲伝来 1549」と出てくるが、この年は鉄砲伝来のあとの年であり、よくごろあわせで言われる「いごよく(1549)伝わるキリスト教」=ザビエル来日の年である。
この年に鉄砲伝来と関係のある何かあったのかと調べてみると、以下のような話が伝わっている。
・細川晴元が、本能寺を通じて鉄砲を入手している。この翌年、足軽同士の小競り合いで、三好氏の部下に鉄砲による死者が出ており、これが鉄砲の犠牲者の最初期の一人である。
・織田信長が斉藤道三との会見に行くときに、鉄砲隊を同行させた。鉄砲は500も丁あったといわれている。
この年の時点で、鉄砲を足軽に配備するのは広く行われていたらしいことがわかる。
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