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SF「月世界旅行」とロケット技術の関係について書きます!
19世紀のSF小説が科学誌に大きな役割をもたらした。ヴェルヌの月世界旅行とツィオルコフスキーの功績に関する年表。
死ぬ間際のツィオルコフスキー:
あと30年後くらいに人類は宇宙へ行ける気がする・・・
と予言したが、果たして26年後にガガーリンが宇宙へ飛んで帰ってきた。
1865に小説家のジュール・ヴェルヌ、「地球から月へ」発行、ベストセラーになる。初めて科学的に宇宙への脱出を盛り込む。肝は大砲の砲弾として打ち上げるというアイディア。なお、題名はのちに「月世界旅行」ともいわれるようになり、今日ではこちらのほうがポピュラーとなる。
1870年代には、ついに科学を志す読者にこの本が渡る。この時期にツィオルコフスキーはモスクワで学んでいる。この時「地球から月へ」を読んでいる。
ツィオルコフスキー:
十代のころに「月世界旅行」を読みました。
ゴダード:
少年のころに「月世界旅行」を読んで感動しました。
オーベルト:
私も少年のころに「月世界旅行」を読んでロケットに興味を持ちました。
1883年には、ツィオルコフスキーが実際に宇宙へいく科学的な考察を開始した。おもにこの時期には、ロケットの推進方法などに重点を置いている。大砲で月に行くという発想にかなり影響を受けているのがわかる。
1897年には、引力から脱出するスピードを理論的に考察している。こちらも、大砲から飛び出すという方法が影響しているとみることができる。ただし、原作通りの砲身の長さで脱出速度まで飛びd刺そうとすると、Gが強すぎて、生物は耐えられないということが判明した。
1902年には、映画産業の発展がはじまり、月世界旅行が映画化(現在ではパブリックドメインとなっている)した。これは最初期のSF映画といってよく、原作が小説である映画のうちでも最初期のものである。
1903年、20世紀にはいるころには宇宙空間で必要な技術にも考察を広げ、ツィオルコフスキー が「ロケットによる宇宙空間の研究」を執筆した。1920代には具体的に2段式ロケット、宇宙ステーションなどの考案にまで至った。今日の宇宙開発で実際に使われている発想が誕生した。
一冊のSFが、科学に大きな影響を与えた事例と言ってよいだろう。これは、まだ飛行機すら空を飛んでいなかった時代の話でありながら、当時すでに存在していた大砲というテクノロジーで月まで行くという発想がロケットにも通じていて興味深い。
・SFの役割について
ヴェルヌの「月世界旅行」にインスパイアされて、実際にロケットの研究を始めた科学者が生まれたという点で、SFが宇宙進出に果たした役割は大きい。ツィオルコフスキーでさえもロケットで宇宙に行くにはあと数百年はかかるだろうと存命中は思っていたらしい。ゴダード、オーベルト以外にも読者で宇宙を志した人は多かったものと思われる。SFの影響で科学が進歩した一例である。
・ロケットの父
ツィオルコフスキーがロケットのみならず、宇宙ステーションなどもたいがい一人で着想していたのは驚くべきことである。当時はまだロケットで宇宙に行くことは不可能だという否定派も多かったが、彼の情熱が勝っていたということだろう。時期的にソ連の成立という混乱期も経験しているが、レーニンは科学の振興に理解のある元首だったことも幸いしたと思われる。
・宇宙にはいったが・・・
ツィオルコフスキーの念願だった宇宙へ行くことはできたものの、まだ宇宙飛行士のみが研究で行くのみに限られており、一般人がそれこそ月世界旅行を楽しんだり宇宙で地球一周をしたりという時代はきつつあるといわれながら未だにきていない。安全性や費用の観点から、一般には手が届かないのが難点であろう。ツィオルコフスキーは自由に宇宙に行ける世界を夢見ていたふしがあるので、今後の展開に期待である。
・アポロ11号の着水地点と月世界旅行内でロケットが着水した場所はほぼ同じだった。運命的な偶然ではある。
・さすがに事実とは異なる描写もあり、月の周りに隕石が飛び交っていて月面着陸できなかったという描写をしている。