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偉人や歴史人物の最期の言葉をまとめた。この記事では、日本の政治家をまとめた。時代によって天皇、武士、政治家など出身がちがうが、政治にかかわった人を選出している。
なお、公的に確認できる最後のメッセージや、遺書の内容なども含みます。随時更新!
日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん
保元の乱の結果、配流されることになったが、晩年に舌を噛み切って写本に書いたと言われる文言がこれである。そして崩御の後、怨霊伝説などが形成されていくことになる。
尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか
壇ノ浦で配線が決定的になった際、祖母の二位尼に聞いた言葉。このあと、二位尼に「波の下にも都がございます」と言われ、安徳天皇は二位尼とともに入水自殺。なお母の建礼門院徳子も自殺を試みたが、救助された。
武家政権については、政治家が武士であることも兼ねているので、そちらにまとめた。:歴史人物の最期の言葉【武士・軍人編】
ここでは、公家などの武士以外で政治にかかわっていた人物が主となる。
家茂のそばに葬ってほしい
32歳の若さで亡くなった和宮の遺言が上記のものであった。最期まで家茂のことを思っていたことがうかがえる。
私を撃ったりして、馬鹿なやつめ
ハルピンの駅で安重根に銃撃された直後、上のようにつぶやいたとされている。
人は死んだら終わりだと言う、しかし私はそうは思わない。
志ある人々が私の墓を前にして、世の矛盾に怒り、それをたださんと、世のために働いてくれるのなら、私の死は終わりではない。
これより有名な暴漢に襲われた際の「板垣死すとも自由は死せず」は、襲撃後も一命をとりとめたため、最後の言葉とはならなかった。
靴でも脱げや、話を聞こう
五・一五事件で暗殺される直前の言葉。この直後の「問答無用!」という返答と合わせて、有名なやり取りである。
「話せばわかる!」という言い方が出回ってはいるが、実際とは違うようである。
永遠の平和、永遠の平和。
太平洋戦争を終戦に導いた首相の、臨終の際の言葉。