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歴史人物の最期の言葉【学者・研究者編】-ガロア、ニュートン、ラヴォアジェ他

歴史上の偉人などが最期に残した言葉をまとめた。加えて、解説も簡単に添えた。

この記事では研究者に注目し、数学、物理など、真理を探究する人の言葉をまとめた。

なお、死に際に残した言葉だけではなく、公的に確認できる最後のメッセージや、遺書などの内容も含みます。随時更新!

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数学者

アルキメデス

私の図形を踏むな!

他に「私の円を踏むな」などとも伝わる。

攻めてきた軍隊の側も、アルキメデスは殺さないように、との命令は事前に出ていたようだが、人相がよく伝わっていなかったのか、アルキメデスと判明する前にはもう刺殺されてしまっていた。

ガロア

泣くな。20歳で死ぬということには、ありったけの勇気が必要なのだから。

決闘で致命傷を負い、駆け付けた弟に向かって言った言葉。メモには「なんとくだらないことのために死ぬんだろう」とも書かれていた。

物理学者

アイザック・ニュートン

私は広大な真理の海の前できれいな貝殻を見つけて、夢中になっていたようなものだった。

ニュートンの似たような名言としては「巨人の肩の上にのっていただけです」という方も有名。ニュートンは性格は冷淡だったようだが、先人あるいは自然に対する尊敬はもっていたと考えることができる。

オーム

ミュンヘンの冬は寂しい

オームの法則を発見したものの、当時はヘーゲルなどの哲学が席巻しており、実験が軽視されていた。そのため正当な評価をされることがなかった。その時の様子を、晩年、上のようにこぼしたとされる。

マリー・キュリー

私は、いつ死んでも安心です。

キュリー夫人はラジウム入りの試験管を手にしたまま、ベッドわきの息子夫婦に向かって上のようにいったらしい。研究を息子夫婦に託したということである。

リチャード・ファインマン

2回死ぬなんて嫌だね。

ファインマンらしい、軽口っぽい様子が伝わる最後の言葉である。

化学者

ラヴォアジェ

実験のため、処刑は2週間待ってほしい

政府の税務に関する仕事をしていたため、革命政府によって死刑が下された際の言葉。どんな実験をしようとしていたかは不明。友人たちの助命嘆願もあったが「革命政府に化学者は不要」とまで言われてしまった。

生物学者

メンデル

いつか私の時代が来る

晩年は聖職者として忙しくしていたが、遺伝の法則がいずれ着目されることには自信があったと見て取れる。

天文学者

コペルニクス

地動説を事実ではなく、ひとつの仮説として提案するものである…

彼の著作である「天体の回転について」が、臨終の床で初版が届き、一説にはそれを抱えて亡くなったということもあり、これを最期の言葉ととらえることができる。この時代は教会に遠慮して、大々的に地動説を唱えることはできなかった。

哲学者

ソクラテス

悪法も法なり

よろしくない思想を若者に浸透させているとして捕まったが、彼を助けようとする人たちもいた。なぜ悪法に従ったのかは議論があるが、結局、法に従わずにいることは彼の哲学に合わないので、毒を飲んで死んだ、ということになりそうである。

フィヒテ

自己省察の技術に熟達しているにもかかわらず、私自身は少なくとも、平静を保ち続ける自信などありはしない

ナポレオン戦争で講義中断が決まった際、上のように言って生徒に別れをつげた。翌年初頭にチフスにかかった妻の看病で自身も感染し死去。なお看病のかいあって妻は助かった。

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