クレオパトラは美貌の持ち主であったことで有名です。また、彼女の本物の素顔を残したとおもわれる肖像画は実在します。それらの検討からクレオパトラはそれほど美人ではないという説もあります。画像を交えて解説します。
クレオパトラの肖像画
クレオパトラの肖像画は、死後に書かれたものの数のほうが多いのが現状です。
しかしながら、数点は生前か死後の直後に描かれたとみられるものもあり、より実際の見た目に近いことが推測されます。
なお、クレオパトラ本人は紀元前30年ころに死去しているので、紀元前1世紀のうちか、紀元後1世紀頃がおおよそ正確な記憶をもとに書かれた肖像画ということができます。
クレオパトラのフレスコ画
ローマ時代のフレスコ画からその外見をうかがい知ることができます。
こちらの画像は死の少し後に描かれたお思われる肖像画で、横顔を描写しています。
ヘアバンドのような装飾物や、耳飾りなどをしていることがわかります。また、神はやや赤毛であることもわかります。
これは1世紀半ば、イタリアのポンペイにあるクレオパトラを描いたと思われているフレスコ画です。
上の画像と同様に、ヘアバンド、耳飾りをしていることに加えて、この肖像画ではネックレスも着用していることがわかります。
クレオパトラの顔をモデルにした石像
当時は権力者の胸像をつくるのが慣例でしたので、クレオパトラの石像もいくつか残されています。
クレオパトラのレリーフ
神殿の壁面に施されるレリーフは存在しており、これは隣に描かれたカエサリオンのものも併せて有名です。
ただしこれは顔は細かくは描かれておらず、長身の女性であるらしいというところまでしかわかりません。
クレオパトラの顔の石像
クレオパトラと同じ時代に作られたものとしてはこれが最も正確に描写しているといえるでしょう。
与える印象としては別に醜い顔ではありませんが素朴な顔立ちという感じがします。
なんとなくほうれい線が目立っているような気もしますが・・・
クレオパトラのミイラはある?
結論から言えば、クレオパトラのミイラは発見されていません。
クレオパトラは、死後アントニウスと一緒に埋葬されたという説が広く信じられています。消息としては、アウグストゥスが2人の遺体を埋葬することを許可したところまではわかっているようです。
しかし、墓所の存在はどこであるかは現在でもわかっていません。
そのため、エジプトのどこかにアントニウスとクレオパトラが埋葬されている墓所があるはずだという期待をもとに、現在でも研究が進められています。
これが実際に見つかれば、クレオパトラのミイラがそこに眠っているかもしれず、そこから現在のCGの技術で復顔がされるかもしれません。
実際に、ほかの女性の王族のミイラは実在します。
クレオパトラの美しさ
クレオパトラの美しさについては以下のように考察できます。
鼻筋は通っていたらしい
「クレオパトラの花がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていた」という名言がありますが、確かに肖像画と石像に共通する特徴として、鼻筋はくっきりと描写されていることがわかります。
鼻が彼女の見た目に与えた効果は大きかったかもしれません。
知性の賜物?
外見の魅力以上に、その知性からくる聡明な魅力や、内側からの気品が彼女を美貌を形作っていたと考えるのが妥当なのかもしれません。
また、悲劇的な死が脚色を加えている、とみることもできるでしょう。
現在の美しさの基準と当時の違い
エジプトの時代と現代では美の基準が違うので、現代人が実際の顔を見ても、美しいと感じるかはまた別だと思われます。
しかしながら、肖像画を見る限り、現在でも美人として通用することはいえると思われます。
クレオパトラはアイシャドウを発明した?!
クレオパトラはアイシャドウを発明したという伝説もあります。
しかしアイシャドウは、クレオパトラの時代よりも以前から使用されていたことがわかっています。
具体的にはエジプト先王朝時代(紀元前 5000 年から4000 年頃)にまでさかのぼります。この時期の埋葬地では、アイペイントに使われた鉱石(緑、黒など)や、化粧品のパレットなどの痕跡が見つかりました。
まとめ
- クレオパトラの肖像画は実在し、ほぼ彼女の生きた時代のものもある。
- クレオパトラは美人だったのは事実と思われる。
- 見た目以上に、その内面が与えた魅力も大きかったと思われる。
ミイラが見つかればより直接的にその顔が推定できるでしょう。今後の研究に期待ですね。