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中世になると、イスラムの文化圏が安定期を迎え学問の中心となるが、占星術もその影響でイスラム世界で受け入れられた。暦の作成に関心があった人々にとって、占星術の方法論は役に立つものであったらしい。その反面、占星術に対する批判もこの時期から強まり始める。
9世紀頃:イスラム世界での次第に占星術の需要が高まり始める
9世紀:ギリシア語からアラビア語への文献の翻訳がおこなわれる。この後の時代のアラビアでの占星術研究の土台が築かれ始めた。
10世紀頃:月宿の概念の発展・・・イスラム圏では太陰暦が使われていたため、月宿の概念がひろく受け入れられた。月宿の概念は、この後のヨーロッパ占星術でも重要な概念とされるようになった。
占星術自体はのちに誤った考え方ということが明らかになったが、この研究からイスラム圏では暦作りが盛んに行われた。暦づくりに使える概念として、役にたったということは言えるだろう。
同時期:アルキンディ、占星術への共鳴、星の光線による変化する作用があると主張している。
同時期:アブー・マアシャル誕生年による占星術・・・誕生した年がいつだったかによる占いは世界中に多くあるが、その占星術バージョンがこのとき作られた。
13世紀なかば:アラビア語からラテン語への翻訳・・・ここから、中世欧州にも占星術が再び研究の対称になり始める。こののち、イスラム圏の繁栄が影rを見せるとともに、占星術の主な活躍の舞台はヨーロッパへと再び移っていった。錬金術のたどった道と似ている。
13世紀には、いくつかの研究者が占星術はいんちきであるとの批判を行っている。有名なところでは、アル・ハラーディー、アヴィケンナ(アヴィセンナと表記されることもある)、などが占星術への批判をコメントしている。
アヴィケンナは錬金術に対しても批判的であるが、占星術に対しても批判している。彼の科学者としての視線がうかがえる。この時代に両方の考え方を誤りと見抜いていたのは、彼の先見性が垣間見られる。アヴィケンナにとっては、天体の動きを読むということは納得がしがたかったのかもしれない。
また、世界史序説の中でイブン・ハルドゥーンも占星術について批判している。同じ著作の中で、錬金術に対してもありえないといっているので、かなりその後の科学と同じ水準で物事を考えていたことが伺える。