占星術の歴史2【古代・中世欧州】

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占星術は古代ギリシア・ローマ時代を通じてヨーロッパに広まった。中には、天文学者としての側面が今日でも知られている人もいる。この時代においては、占星術師と天文学者は必ずしも分化していなかった。
 また、キリスト教との対立が明確になっていく。

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年表

2半ば: プトレマイオス、「アルマゲスト」が著される、人間の内蔵と星の対応について説明している。・・・アルマゲストはのちの占星術師に影響を与える書物となった。また、天文学にも影響を与えている。

同時期:黄道12宮、死因と星の関係が概念化される。・・・現在でも有名な12星座の概念と、将来の運勢を予測することが結びついたのはこのあたりからである。

357:皇帝により占星術禁止令が出される。歴史上最初の占星術に対する禁止令。

409:ホノリウス、テオドシウス、占星術関係の焚書

425:占星術師を罰した記録あり。

8世紀:「ケンティロクイウム」著される、プトレマイオス的な書物

12半ば:ペトロス、キリスト教会からの擁護・・・キリスト教徒からの占星術の批判に対して、占星術をかばおうとした。

1534:カルダーノ、プロノスティコ(予言者)を著す。

表紙の絵は背後の町の崩壊を占星術師が占っているところ。
占ってるそばから塔が崩れているのは笑えてしまう

1538:天文表の利用が開始される。

豆知識

・カルダーノは数学者としての功績も著名。占星術によって自分の死ぬ日を予言し、その日が来たときにその日のうちに自殺したという言い伝えがある。

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考察

・キリスト教はなぜ占星術を攻撃したか
カトリック教会と占星術師はかなり相性が悪く、中世までにはかなり迫害を受けている。これは錬金術にはみられない特徴といってよいだろう。これは、宇宙や星に関することが聖書にもかいてあり、それの解釈を捻じ曲げているようにキリスト教会からは見えたのであろう。このてん、ガリレオなどの天文学者が異端とされたのと近いものがある。

・彼らの予言はあたっていたのか?
中世までは、魔術など、今日ではオカルトと判定されるようなことが信じられていたので、占星術師が言う予言やアドバイスを王や貴族が聞き入れていたとしても、不思議ではないだろう。予言も数撃てば当たることもあったと考えられ、また、あいまいな物言いをしておいて、あとからあたったと証言することも容易だったものと思われる (バーナム効果) 。この理由で、占星術は中世までは生き残っていた。