功利主義の発展の歴史のなかで、それに挑戦する形で現れた批判や思考実験を年表でまとめる。
功利主義の怪物
20世紀に哲学者のロバート・ノージックが考案した。
食料を食べることが普通の人には1単位の喜びしかもたらさないが、「功利主義の怪物」には100単位の喜びをもたらすとする。
とすると、ほかの人が全滅しても「功利主義の怪物」にすべての食料を分配することが正当化される。
功利主義の怪物
そもそも功利を計測できるのか?
功利という概念は、直接的に計測できないので、それをもとに計算をすることが本当にできるのか、という批判がある。
功利そのものではなくとも、一応、財産の量や資源の量などは計測できるので、その分野に関しては、それをもとに計算をすることができる。
個人の区別がない?
功利主義ではすべての人を区別しないで一人として扱うが、家族や恋人などの区別が選択に影響を与えることもある。この点が考慮されていないという批判がある。
たとえば、火事が起こった家に家族が1人いる場合と、赤の他人が10人いる場合とでは、人々の対応は現実には家族を選ぶだろう、というものである。
言葉からくる誤解
功利主義はその翻訳された言葉やスローガンによって、誤解されている感じは否めない。
冷徹な多数決?
「最大多数の最大幸福」という言葉が独り歩き、あるいは曲解されたりして、功利主義=多数派が正しいという風に誤解されることがある。
実際には、人数では少数派でも功利が上回るのであれば少数派の意見を通すのが正しい、という状況があり得る。
功利主義=利己主義?
功利という言葉認証からか、利己主義、つあり自分勝手に幸福を追い求めてよい、というような印象を持たれがちである。実際には、利己的な行動が功利を増加させないなら、その行動は間違っている、という判断がされる。
トロッコ問題
哲学の有名な問題である「トロッコ問題(トロリー問題ともいう)」にも、功利主義が登場する。自動運転などで注目されている問題である。
トロッコが暴走している。レールの先には一人結ばれており、このままでは衝突して死亡する。
あなたは進行方向を切り替えることができるが、切り替えるとその先の5人が死亡する。
この時、どうすべきか?
トロッコ問題
功利主義では、一人がつながっているレールと、5人がつながっているレールとでは、それ以外に情報がない場合には5人を助けることが正当化される。答えが出るのは強みだが、本当にその結果でいいのか、というところに議論があったり、人数以外の属性(身分や年齢など)がわかっている時も同様でいいのかという議論がある。
これについては、義務論からの反論がある。