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ここでは吊るし刑と車輪刑に使われた拷問処刑器具について解説する。
見せ物として吊るし上げるほか、拷問やそのまま処刑することにも用いられた。
18世紀まで、吊るし刑のための吊り籠はヨーロッパのさまざまな町でつかわれていた。
聖堂や交差点など、目立つところに罪人をいれた籠を高いところにつるして、見せしめにしたのである。
そのまま鳥などについばませて長い時間をつかって処刑したりし、死体はなかで腐っていった。
トスカナ地方では1750年代には廃棄処分になるなど、姿を消し始める。
籠は隙間が大きいが身動きはとれない。脚の部分は脚を片方ずついれる形のものもあった。
イッポリート・マルシーリにより中世に発明される。
先が尖った角錐の形をした台のうえに、鉄の輪とロープなどで罪人をつるし、股間に体重によるダメージをあたえることで拷問を行う。拷問人はロープの上げ下げや揺すぶりでダメージを調整できた。
罪人は眠ることができなかった。似たような処刑器具に魔女のくさびがある。体重と重りで股や急所を潰し、処刑するものだった。
車輪をつかった拷問や処刑もポピュラーな方法だった。車輪の利用には宗教的な意味合いもあったと考えられている。
中世ヨーロッパから18世紀初頭まで行われた。
地面に四肢を固定し、下に角材をあてがう。この状態で、車輪の円周を鉄製にしたもの(切れない刃)をつかい上から骨を砕くことで苦痛をあたえる。
車輪のスポークに編み込まれ、車輪ごと棒で高い位置に晒される。これは見せ物の役割もあった。
そのまま鳥やネズミに砕かれたところをついばまれ、長い苦痛のあとに死に至る。
この時代に同様の処刑方法としてはつぎがある。
女性を地面に掘った墓のなかに寝かせ、心臓に杭をあてて、上から木槌で叩きいれて処刑する。これは魔女の処刑や、夫に毒を盛った妻に与えられる罰だった。杭をうつのは男性の役割だったらしい。
傾けた梯子の形をした台に罪人を縛り付け、手順を追って苦痛を与えていく。1769年発行の「テレジア刑法」のなかに細かく規定がある。
まずは罪人は後ろ手に縛られ、梯子に固定される。
第1段階では、下の巻き取り器具で引き伸ばされ、肩を脱臼する。
第2段階では、蝋燭を七本たばねたもので脇腹をあぶる。
第3段階でも生きていた場合、規定により無罪放免とされた。