\閲覧ありがとうございます!当サイトではリンク広告を利用しています/
時代劇では、下手人を拷問して真実を聞き出すシーンが出てくる。実際に、参考にされたと思われる拷問のやり方を定めた書物がある。それが「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」と「拷問實記(ごうもんじっき)」である。これに書かれた拷問について解説する。
1742年に発効。罰の与え方について示された文書であり、拷問もこの基準に従って行われた。時代劇のようにいたぶればよいというわけではなく、死んでしまっては仕方がないので自白はするが殺さない程度に、なおかつ、在任が自力で帰宅できる程度には手加減しなければならない決まりらしい。
拷問實記にしるされた責め方法は下のようなものがある。自白しないと、苦痛の段階が徐々に上がっていく。
後ろで似縛った状態で座らせ、棒を持った打ち手が棒で打つ。これが拷問の第1段階である。
これも時代劇で有名である。先が三角形の角材を並べたところに正座で座らせて、腿の上に石の重石を重ねておく。これによって苦痛を与える拷問である。足にかかる負担は相当なものらしい。
胡坐を欠かせたような姿勢で無理な前屈姿勢をとらせ、そのまま縛る。こうすると次第に背中などがうっ血する。この色が海老のようであったことからこの名前になったといわれている。見た目以上に苦痛が大きかったらしい。
これが拷問として最後の段階で、方に全体重がかかるように腕を後ろにして腕だけで吊り上げる。これは肩甲骨が折れるほどの負荷がかかり、体重で骨がきしむほどだったといわれている。
ただし、このときに棒で打つことはしなかったようである。また、縛り方も胴体にぐるぐる巻きにすることはしない。
これは拷問實記にかかれた変わった拷問のしかたである。水攻めという、労とを口にくわえさせて水を流し込み、呼吸をできなくさせることで苦痛を与えるのが水責めであるが、これに糞尿をまぜれば糞責めの完成というわけである。精神的苦痛が半端ではない。
時代劇では、縛ってつるした上で竹刀のようなものでなぐる、という風な拷問がもはやテンプレであるが、これは棒うちと吊り責めが合わさったような拷問方法であり、公式の文書に示された方法ではないようである。少なくとも、公事方御定書がかかれた18世紀なかばの時点では行っていなかったと思われる。
もっとも、地域によってはローカルで時短もかねてこのやり方をやったこともあったかもしれないが。いずれにせよ単にいたぶればよいというのは本当はNGである。
これは時代劇の撮影をするときに、絵的に映えて、なおかつ拷問されていることがわかりやすい演出を意図したものと考えられる。