フッ素の歴史-人殺しの元素

元素
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フッ素の単離は極めて難しく、その毒性から研究者のいのちを何人も奪っている。そして、「元素のティラノサウルス」というあだ名がついた。これだけ人を殺している元素も珍しい。

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年表

1670:蛍石に濃硫酸を加えるとガラスも溶かす液体がでると判明、フッ化水素である

1771:シェーレ、フッ化水素の発見

研究者を殺しまくる

1813:デービー、フッ素の実験中に短時間の中毒になる

1830ころ:蛍石に分離しにくいハロゲンがあるとわかる

19世紀初頭:少なくとも二人のいのちを奪う

同時期:クノックス兄弟、実験中に中毒になる。寝たきりになってしまう。

1869:ゴア、水素とフッ素を得る実験で爆発事故。幸いけがはなかった。

単離されるが道連れに

1886:モアッサン、単離に成功。しかし、片目の視力を失う。

1906:モアッサン、ノーベル賞受賞

数か月後:モアッサン急死。・・・モアッサンが死んだのはフッ素の毒性により弱っていたからとも言われている。

1940年代:マンハッタン計画。原爆研究でウラン濃縮のためにフッ化ウランを使用。

モアッサンのエピソード

モアッサンはフッ素の単離のほかに有名なものとして、人工ダイヤモンドを作り出す研究を行った。1893年にはダイヤモンドの生成を発表するものの、これは助手が天然のダイヤモンドをこっそり混ぜたというのが真相といわれている。

豆知識

・元素の毒性という点では、ピエール・キュリーが馬車にひかれて死んだのは、放射線(ラジウム)の研究のしすぎで気分が悪くなっていて転んだせいとも考えられている。

・モアッサンのノーベル賞受賞の際の投票では周期表のメンデレーエフも選出される可能性があったが、1票の差でモアッサンが受賞する。メンデレーエフはその後死去したので、受賞には至らなかった。

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考察

・それでも単離したい!
ときに科学の研究ではいのちの危険が付きまとうものである。年表で数える限り、フッ素が危険な目に合わせた、あるいは殺した人数は7人もいる。しかし、人の好奇心はそれでも単離したいという方向に進んだわけで、やっとモアッサンにより人類の勝利となった。なお、容器もものによってはフッ素に破壊されることがある。過去の錬金術師の中にもフッ素に殺された人がいるのかもしれない。