\閲覧ありがとうございます!当サイトではリンク広告を利用しています/
古代には中国の練丹術だけではなくインドでも錬金術が発達した。中国との交流もみられるが、独自の面もみられる。
主な目的は、霊薬の調合。医療的な使い方に関心があったようである。
紀元前:リグヴェーダ、薬草の歌の記述。飲むと不死になる。
紀元前4世紀:「アルタシャスートラ」著される。
金の液は、百倍の銅と銀を金にかえる
アルタシャスートラ
2世紀:ナーガールジュナ、「ラサラトナーカラ(水銀の珠玉の宝庫)」を著す。
3世紀:ボーガル、インド留学。錬金術を学ぶ。「ボーガル・カルパン」著す。霊薬の製法。
4世紀頃:「華厳経」、あらわされる。錬金術についての記述あり。
・老衰、死の苦しみを水銀を用いて除く
・生命の霊薬を利用すると長寿になる
・ハータカプラバーサの霊薬は1000倍の金属を金にかえる
11世紀:「ラサールナヴァカルパ」、著される。卑しい金属を金にかえる試み。めっきの方法
・大乗仏教を広めたナーガールジュナと同一人物かは議論がある。
・インドには水銀の産地がないという。古代にはシッダプラ(地名)に水銀がでていたという説がある。
・ナーガールジュナは同一人物か
仏教の方と錬金術師の方が同一人物でなかったとしても、両者とも時代背景から錬金術の知識は持っていたと考えるのが自然かもしれない。
・インド錬金術の技術
インド錬金術は金属の変成に関心があったのはっ実だが、めっきの方法などの実用的な方法論も記録しており、化学実験としてみても価値が高い。金に変成したというのは勘違いで、表面が金色になっているだけだ、というケースがあることに早くから気づいたていたと考えることができる。そういう意味で、結構現実主義だったのかもしれない。
・インドの錬金術師は賢者の石を完成できたのか
インドの錬金術師は、霊薬の調合に関心があり、それにより老衰から人を救うという目標があったようだが、長寿を手にした人の記録も乏しい。老いの苦しみから救うというのは仏教の影響かもしれない。ゆえに賢者の石の完成は失敗したという結論がただしいだろう。