安部公房は10代にも読まれる作家ではありながら、私小説といったような作品を残してはいない。ここでは、なぜ私小説を書かなかったのかを解説する。また、私小説的な小説も紹介する。
安倍公房が私小説を書かなかった理由まとめ
「一寸後は闇」(いっすんあとはやみorいっすんうしろはやみ)というエッセイ作品でのべている。
理由の一
このエッセイのなかで、安部公房は、「作者が作品に素顔を覗かせるべきではない。」と始めに述べている。
理由の二
本人の特徴として、「忘れっぽく、過去を思い出せない」ということも述べている。また、過去を振り返っても断片しか出てこないので、繋がりをもった話にならないということである。
理由の三
ここで満州時代の逸話が語られる。学校にいたころ、エドガーアランポーの作品を語ったらクラスメイトに受けたので、嘘を付け足してポーの作品として続けて語るということをせざるをえなくなり、この体験によって嘘をつくことの楽しさを知った。
その他
消ゴムをつかってかく、というのがスタンスであり、伝統など、過去の暗闇のなかにあるものを出発点にはできない、と述べている。
現在を、消化しつくすことが自分の書く意味であると述べてこのエッセイは終了している。
安倍公房の私小説的な小説!
私小説的な小説は発行されている。
終わりし道のしるべに
けものたちは故郷をめざす
満州の原体験が生かされたと見られる作品であり、荒野の描写などに反映されている。もっとも、安倍自身が実際に経験した、ということではないらしい。
燃え尽きた地図
冒頭の描写は本人の体験が反映されている、と自身でも語っている。ただ実体験なのかは不明瞭。
笑う月
エッセイや逸話を集めたものであり、夢のエピソードなど、かなり面白い。
師匠はいた?
安部公房は師匠や先輩といったような関係をほとんど作らなかったが、石川淳は例外的に師匠的な人として本人も認めており、葬儀にも参列している。