現在ではyoutube上の映像から、ピッチャーの球速を計算することが可能である。スピードガンがない時代のものでも可能なので、伝説的な投手の球速を計算してみる。
フレーム数から計算する方法
1秒あたりのフレーム数(fps)は今回は30であるので、1フレームの時間は0.0333秒である。
ピッチャーの手を離れてから、ミットに収まるまでのフレーム数を数える。
これから、秒×フレーム数が到達時間(秒)である。
ピッチャーマウンドからホームベースまでの距離は18.44mであるので、これを到達時間で割れば、何m毎秒か算出できる。これをkm毎時に直せば球速が出せる。10m/s=36km/hという関係を使えば、簡単に導ける。
沢村栄治
球速を計算する
こちらの動画のピッチング映像から球速を求める。
ピッチャーの手を離れるところ
キャッチャーのミットに納まるところ。
ここまで13フレームである。よって、0.0333×13=0.4662秒で到達。
よってメートル毎秒での速度は18.44÷0.4662=42.596 m/s
これをkm/hに直すと、(39.554×36)/10=153.347 km/h
ということで、沢村の球速は本気でなくてもおよそ153キロは出ていたことがわかる。
13フレームより若干あふれているようにも見えるので、実際は150キロいくかいかないかくらいかもしれない。いずれにしても当時としては早すぎる球速であることは間違いがない。
当時の成績
ノーヒットノーラン3回(最多タイ記録)を達成したピッチャーであり、この球速があれば投手3冠、4冠、5冠を達成したのも頷ける。
金田正一
球速を計算する
こちらの動画のピッチング映像から球速を求める。
ピッチャーの手を離れるところ
キャッチャーのミットに納まるところ。
ここまで14フレームである。よって、0.0333×14=0.4662秒で到達。
よってメートル毎秒での速度は18.44÷0.4662=39.554 m/s
これをkm/hに直すと、(39.554×36)/10=142.394 km/h
ということで、金田の球速は本気でなくてもおよそ142キロは出ていたことがわかる。
当時の成績
400勝をあげたピッチャーであり、この球速があれば弱小チームにいた時代に勝利数の大半を稼いでいたこともありえそうな話である。
間接的な証拠
沢村栄治のほうは、日米野球でベーブ・ルースなどから三振の山を奪ったという逸話があり、試合の後に握手を求められたというエピソードもあることから、これくらい出ていたとしてもおかしくはない。
これは体格などが今日よりも劣り、速球を投げる投手がただでさえ少なかった当時としてはかなり早く目に映ったはずであり、当時を振り返る年配の選手たちが160キロくらい出ていたという証言をしたとしても、おかしくはない。
豆知識
沢村栄治は第二次大戦中に戦死した。手榴弾を投げる訓練をしていたことから、肩を壊していた疑いもある。