失われたアークは実在する?行方はどこまで追える?元ネタを解説!

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「インディジョーンズ:レイダース/失われたアーク」には伝説の秘宝として失われたアークが登場します。ここでは、失われたアークはどこにあるのか、その行方はどこまで追えるのかなど、元ネタやモデルを解説していきます。

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失われたアークの足取りはどこまで残っているのか

アークは、モーセがシナイ山で授かった十戒の書かれた石板を入れた箱です。「契約の箱」とも呼ばれます。

そして、このモーセですが、実在の人物だとして、生きていた時代が紀元前13世紀ころのことと推定されています。(以降の人物も基本的に、実在したとしていつくらい、という感じです。)

なので、失われたアークが最初に歴史に登場するのは、紀元前13世紀ごろということになります。

この契約の箱に関する記述は、もちろん聖書にさかのぼります。まず、聖書による足取りの追跡をしてみます。

聖書の失われたアーク

聖書では、失われたアークの重要な記述として、その姿かたちが描写されています。

このときの足取りとしては、モーセが死んだあとは、放浪していたユダヤ教徒によって、ともに移動され続けたということがわかっています。

このあと、一度ペリシテ人に奪われますが、ダビデ王の時代にイェルサレムの神殿にうつされました。

ダビデ王が紀元前1000年ころの人物とされているので、アークができてからこの時点で300年くらいたっています。

この後はソロモン王の時代にソロモンの神殿に移されました。これが紀元前900年ころのことです。

このイェルサレムやソロモンの神殿に安置されていたことは、おかれていた時間が長かったこともあり有名で、絵画なども残っています。ただし、この神殿も現存はしていません。

最後に聖書に登場するのが、ヒゼキヤ王の時代です。

このとき、アッシリア帝国の勢いが増していたこともあり、ヒゼキヤ王は神殿の中にあるアークを含めた秘宝を隠したとされています。

バビロン捕囚で失われる

そして、紀元前587年、バビロニア人はエルサレムとソロモン神殿を破壊し、持ち去ったといわれています。

バビロン捕囚でバビロンに持ち去られたところまでが、足取りが終える最後の部分です。なお、バビロニア人に持ち去られないように隠されたという説もあります(後述)。

これ以降は足取りがつかめないため、「失われたアーク」と呼ばれるようになりました。

こうしてみると紀元前でもう足取りが不明になっていることがわかりますね。

その後の行方に関する説

その後の行方に関する説のうち、昔の文献に残っているものをまとめました。

バビロンに持ち去られた説

これは上でも書いたとおり、バビロン捕囚の際にほかの財宝とともにバビロンまで持ち去られたという説ですね。

同時代のバビロニアの侵攻について書かれた資料には、財宝を持ち去った記述があるので、このなかにアークもあったのでは、という説です。

ちなみにバビロンに持ち去られた後、そこから持ち出されないようにバビロンで隠されたという説もあります。

洞窟に隠された説

これは聖書の古い写本に書かれている説です。預言者エレミヤが隠した、という記述が残されています。

エレミヤはバビロン捕囚と同時代に生きていた預言者です。

その内容は、エレミヤが、モーセが神の約束の地を見た山(今のヨルダンのあたりにある山)にのぼり、そこの洞窟にアークなどをに運び込み、入り口を塞いだ、というものです。

エチオピアに運ばれた説

これはエチオピアの王朝の建国史に書かれている説です。

内容の一部に、本物の契約の箱がメネリク 1 世によってどのようにしてエチオピアに運ばれたかが語られています。

ただしメネリク1世は紀元前970年ごろにエチオピアにいたとされているので、これが正しいとするとバビロン捕囚より以前に持ち去られていたことになります。

現在もエチオピアにあるのか?

現在、エチオピア正教テワヘド教会が、失われたアークの本物を所有していると主張しています。

それによると、アクスムの聖母マリア教会の宝物庫のなかに収められているそうです。

21世紀に入って、一度アークを公開するという旨を発表したことがあったようですが、結局、実現されませんでした。

まとめ

  • 失われたアークは十戒が収められた箱で、作られたのは紀元前13世紀くらいのこと。
  • 紀元前500年代には、すでに行方不明になっている。
  • エチオピア正教会が本物を持っていると主張している。

エチオピアにあるのが本物だとしたら面白いですね。