ナマズ(鯰)の動きによって地震を予知しようという研究は、本当に存在する。それについて解説する。
また、地震との結びつきには豊臣秀吉が絡んでいる。
ナマズを使った地震予知の科学的研究
じつは歴史は以外と古く、大正時代からある。
1923関東大震災後
1923年に東北大学、畑井らが研究。
鯰の水槽のガラスをノックしたときの反応の敏感さを観察。
結果、約80%の確率で数時間以内に地震を感じたという。あわせて地面をはしる電流を調べたところ、地電流がVの字の変化を起こしたときにナマズが反応したと報告されている。
東京都水産試験場
1976~1991の長きにわたり防災研究の一環として。魚類の異常生態による地震予知研究をしていた。
鯰が激しく動いたときの水中の重りの振動を記録し、その後の地震の有無を調べた。
31%の確率で、震度3以上の地震の10日まえに異常行動があった。
淡水魚増殖試験場
神奈川県淡水魚増殖試験場でも、1983~1987年に鯰の行動の観察を行っている。
精度は?
結局、地震予知に役立てるには精度や因果関係が不十分ということになっている。ただし、計測されたデータは価値のあるものとして報告や保存がされているようだ。
なぜ地震と結びついたのか
初期の鯰伝説と鹿島神宮
初期の逸話として、豊臣秀吉が、天正地震の被災体験から、鯰が琵琶湖から跳ねるのをみて地震の原因とみた。これをもとに1592頃に伏見城の建設で地震対策を書状に書いている。
また、鹿島神宮の要石は、1624には「大日本地震の図」で要石が地震を抑えるために鹿島の神が押さえているという歌が添えられており、もととなった。ただし、鯰ではなく龍がかかれている。
鯰絵の発展
安政2年の大地震のあと、鹿島明神が鯰を抑えていなかったので地震がおきた、というような話が絵つきでつたわり、「鯰絵」として有名になっていった。
明治のあと
このあとも、漫画表現などでナマズが地震の前触れや象徴として表現されていき、現在のイメージにつながっている。標識などにも使われるようになった。