村八分の実例、語源などをまとめた。コロナウイルスの影響であらためて注目された風習でもある。
村八分の基本 |
村の生活に必要な「冠、婚、葬、建築、火事、病気、水害、旅、出産、年忌」の10個の行事のうち、火事と葬式をのぞく8個のものについて手伝わないこと。8つ手伝わないので村八分という名前になった。 |
ただし、これが語源とすることについては異説もある。また、地域によって呼び名は千差万別である。
村八分の名前と語源いろいろ
ムラハジキ、ムラハズシ、ムラバネなど・・・これらは、村から追放することが語源と想像できる。
クミハチブ、クミヌキなど・・・これらは、組つまり村のより小さな単位から抜くことが語源と想像できる。
ハンチ・・・これは反一致、あるいは破廉恥の略かといわれている。
ヒトリコロビ・・・こらは、独りになるからと想像できる。
英訳は?
村八分は ostracism という訳があてられる。これはギリシアのポリスの陶片追放オストラコンが語源である。
また、キリスト教圏では破門 excommunication も似たような概念である。元々をしめすexがcommunicationについた語(=今はもう意思疎通しない、の意)である。
村八分でどんな制裁があった?
基本的には、冠婚葬建築火事病気水害旅出産年忌のうち、火事と葬式をのぞくものについて手伝わない。なかには葬式も手伝わない厳しいものもあった。舵を手伝うのは、言うまでもなく延焼して被害拡大するのを防ぐためである。
現代
1930年代:村八分の衰退、公権力の取り締まりなどで衰退していった。
戦後は、人権意識の高まりなどで訴訟問題に発展した例が増えた。
2020年:新型コロナウイルスの影響で、地方に帰った人が村八分のような扱いをうけることがあり、話題となった。例えば、県外ナンバーの車に石を投げる。コロナに陽性になった人の陰口を言ったり、遠ざける、など。
村八分的な制裁いろいろ
追放のほかに、制裁として過料もあった。
1892 :難破船の無視で五円以上の過料を科すと港村の記録がある。
1913 :罰則として牛二頭分の過料を科す記録がある。
なぜ村八分が必要だった?
これは、共同でムラを運営していく上で、サボる人や罪をおかした人を罰することで、威嚇行為とする、運営の妨げをふせぐなどの理由がある。
村八分という制裁はあるものの、普段のテツダイをはじめとした相互互助システムに参加する上では、必要な決まりだった。