『山小屋の4人』は、怪談・都市伝説として広く知られています。ここでは、山小屋の4人の答えを解説していくとともに、数学的な答えを考察していきます。
『山小屋の4人』の怪談・意味が分かると怖い話
山小屋の4人は、都市伝説や怪談として有名な以下の話です。だれしも一度は聞いたことがあると思います。
タイトルについては山小屋の4人(山小屋の四人)という名前が一般的ですが、『雪山の一夜』『4人の登山家』『スクエア』などと呼ばれる場合もあります。
ある山岳部の5人の学生達が雪山へ出かけた。しかし、昼頃から雪が降り始め、夕方には猛吹雪となって学生達は遭難してしまった。
途中、1人が落石で死亡し、仲間の1人が死んだ仲間を背負って歩いていた。やがて4人は山小屋を見つけ、助かったとばかりに中に入るがそこは無人で暖房も壊れていた。死んだ仲間を床に寝かせた後、「このまま寝たら死ぬ」と考えた4人は知恵を絞り、吹雪が止むまで寝ずに過ごす方法として以下のようなゲームを考え出した。
・4人が部屋の四隅に1人ずつ座る。
・最初の1人が壁に手を当てつつ2人目の場所まで歩き2人目の肩を叩き、そこにとどまる。
・2人目は1人目同様、壁に手を当てつつ3人目の場所まで歩き肩を叩く。3人目、4人目も同様。
・4人目が1人目の肩を叩くことで一周する。以下、この手順を繰り返す。この方法で学生達は何とか吹雪が止むまで持ちこたえ、無事に下山できたのだった。
さて、どこが怖い?
山小屋の4人
山小屋の4人は、一見すると特に不思議な点は見られないことから、”意味が分かると怖い話”の一つとしても知られています。
山小屋の4人の答え!どこが怖いのか
まずは、山小屋の4人の”意味が分かると怖い話”という意味での答えを見ていきましょう。
なぜこの話が怖い話なのか、その答えは、4人だとこのゲームを続けることができない、という点にあります。
図の左上のように、4隅に人ABCDを配置します。
ルールに従ってAから順に壁沿いに進んで次の人の肩をたたいていくと、CからDのバトンタッチまではうまくいきます。
しかしながらDだけは、AがすでにBの位置に進んでいるため、Aの肩をたたくことができません。
つまりこのゲームをずっと続けるには、5人目がいないとおかしい、ということになります。
よって、5人目は誰だったのか、という点が怖い話としての答えとなります。
この答えを受けて、怪談話が「途中で亡くなった仲間が幽霊としてゲームに参加して4人を守った」という風なオチで語られることもあります。
山小屋の4人はこうすれば成り立つ?数学的な答えを考察!
山小屋の4人の興味深いゲームを、どうにかして4人で続ける方法はないでしょうか。
もちろん、最後の一人が壁を2辺移動する、ということを繰り返せば、ずっと続けることができます。
しかし、これは「1人が1辺ずつ移動する」というルールを捻じ曲げないといけなくなります。
実は以下のように考えれば、ずっと続けることも可能です。
山小屋の4人の数学的な答え
山小屋の4人をずっと続けるには、以下のように「仕切り板」を使うことで可能になります。
仕切り板(青線)を対角線上に配置し、その片端には一人分の隙間だけを開けておきます。
初期配置は話の通りとし、最初に、仕切り板の外側で待機している人Aが動きます。
Aは仕切り板の端の隙間から仕切り板の内側に入ることができるので、Bにタッチできます。
Bにタッチした後は、その場にとどまります。
その後は話通りですが、4人目は仕切り板に沿って対角線に進むため、一人目Aの肩を叩けます。
肩をたたいてAが進んだら、仕切り板の端の一人分のスペースに入り込み、最初のBと同じ態勢が取れます。
以降は、4人とも仕切り板の内側に入って行うことができるので、循環がずっと続きます。
要するに途中から、実質的に三角形の部屋で4人でゲームをすればよいのです。
こうすると、1人が1辺ずつだけ進む、という制約を守りながらでもゲームを成立させることができます。
実際に、山小屋にはプライバシーを守る観点から、仕切り板(パーティション)が準備されているところも多くあります。
山小屋の常識的な装備の範囲内で、一応はスクエアを成立させることができることがわかります。
まあ、対角線を使うなんてオリジナルの要素を付け加えていてズルい、という批判はあるかもしれませんが・・・。
まとめ
- 『山小屋の4人』は、怪談や意味が分かると怖い話として知られている。
- どこが怖いのかという答えとしては、ゲームは実は5人ではないと続けられないため、なぜ続けることができたのか、という点が怖い話となる。
- 数学的にゲームを続ける方法の答えとしては、仕切り板を対角線上に配置し、3角形の空間で4人でゲームをするとずっと続けることができる。
この話に出てくるゲームを誰が最初に考えたのかはわかりませんが、非常によくできた話であると思います。