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航空母艦という発想が軍事に現れると、多くの飛行機を積んだ空母が空を飛んだら非常に強いであろうという発想は各国であったが、この計画はあまり身を結ばなかった。それでも、数少ない実際の試験運用例などをまとめた。また、フィクションなどでは飛行空母的な乗り物は多数登場する。
飛行空母の発想に熱心だったのはアメリカであった。
飛行船に小型飛行機をのせて、潜水艦などを見つける哨戒任務を行う目的で、1931年に配備された。5機のF9Cスパローホーク偵察機を載せることができ、広い範囲を監視することが期待された。
しかし、飛行する勇姿は国民を歓喜させることになったものの、巨大すぎて破損がおおく、最後には悪天候で飛行訓練を強行して墜落した。73名死亡という、飛行船の事故としては史上最悪の結果になった。
もうひとつ、メイコンという名前の空母も作られた。こちらは、最終的に嵐にまきこまれて墜落してしまった。幸いなことに、救命いかだなどのおかげで死亡者は2名のみだった。
1984年に配備された小型戦闘機。超大型爆撃機のB36ピースメーカーの護衛戦闘機として、はじめは爆弾倉に収納され、最後は機体のアームに回収されるという運用方法だった。このため着陸のための足や車輪はなかった。
発射しても回収に失敗する事例が続発し、飛行性能も劣悪だったので、正式採用されなかった。
1950年代に試みられた。大きな飛行機の両翼の端に小さなジェット機をくっつけて飛ぶという発想で、飛行機を有利に運用しようとした。使われた機体はB29とその両端につけるためのF84であった。
しかしながら、翼の両端には高速の渦巻きが生まれてしまうことなどが判明し、暗礁に乗り上げた。最終的には、実験中に飛行機同士が衝突してパイロットが死亡するという、悲劇的な結末を迎えた。
もうひとつ、改造したB29とF84を結合する実験も行われ、こちらはトムトム計画といわれた。
トムトム計画のほうも途中で事故が起きてしまい、打ち切られた。