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パルサーの発見は、宇宙の観測の分野での有名な発見として知られており、これはノーベル賞も受賞している。この発見に携わったのはジョスリン。ベルとその指導教員であったヒューイッシュであったが、この関係が騒動を引き起こした。
もともとは、電波望遠鏡での観測データを集めるのが主目的だった。
1967電波望遠鏡の完成
196710がつパルサーの発見かすかな光発見
この時点では、ヒューイッシュは光の正体はフレア星と予想していた。
11月には、記録計にきっちり15秒間隔で光が記録されていることが確認された。
この時点で、ヒューイッシュは、光源は人工的な光と断定した。
68年1月 パルスの二つ目の源を発見
パルサー発見、ネイチャーに載る。ベルは2番目に名前が掲載。一番目の著者は、ヒューイッシュとなった。
1974年にヒューイッシュに、ノーベル賞が贈られた。
ノーベル賞をとるに値する発見であったが、ヒューイッシュが受けてことが揉め事を引き起こした。争点となったのは当然、「発見者はジョスリン・ベルであるので、ベルに名誉が渡ることが適切だったのではないか?」というものであった。これは他の研究者らも巻き込む騒動になった。
ヒューイッシュは批判を受けて、以下のようにコメントしている。
ジョスリンは有能だったが、自分に与えられた仕事をしただけ。ベルは光源に気づいたにすぎず、見過ごしていたなら彼女の怠慢である。
あくまで自分の功績というのがヒューイッシュの考えであることがわかる。
ほかの科学者も批判したが、有名なのはホイルの批判である。
1975年に、宇宙論で有名なフレッドホイルは、この出来事を「スキャンダル」だと批判した。ホイルはもちろんベルに名誉が渡るのが適切、という意味で批判をしている。