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アインシュタインやゲーデルなど、世界最高の天才頭脳が活躍したプリンストン高等研究所の歴史。
1920年代:バンバーガー兄弟、デパート事業で成功する。
1930:アメリカに最高レベルの研究所を作るため、プリンストン高等研究所を設立。
はじめにどの分野の研究所を作ろうかという話になった時に、数学なら設備に金がかからないから(紙とペンがあればよい)、という理由で数学が選ばれたという。
ついで、物理学についても研究者を招くことが決定される。
1932:最初の教授としてアインシュタイン、ヴェブレンを招へい。
1933:ワイル、ノイマンらが参加。
1934:ゲーデルが参加。
そのほか、オッペンハイマー、ジョン・フォン・ノイマンなど、誰でも知っている天才がつぎつぎに集まった。
最近の天才としては、調弦理論のM理論で有名なエドワード・ウィッテン、4次元以上のポアンカレ予想に貢献したスティーブン・スメイルなどが在籍していた.
1930半ば:経済学、政治学、人文科学の分野を設立。
日本人で最初のノーベル賞をとった湯川秀樹は、1948年にプリンストン高等研究所の客員教授になっている。翌年にノーベル賞を受賞。
日本人で最初のフィールズ賞をとった小平邦彦は、1952年にプリンストン高等研究所の准教授になっている。このあと1962年まで在籍していた。
中世から近世の科学を研究する科学史の研究家である。2010年代にプリンストン高等研究所メロン客員教授となった。現在ではケンブリッジ大学名誉教授を務めている。