公理と公準はユークリッド原論ででてくることばであり、どちらも「証明なしで正しいとみなす事柄」であるので違いがわかりにくい。この記事では、この言葉のちがいや歴史をわかりやすくまとめた。
公理と公準の違い
以下のように、いくつかの観点から解説が可能である。ここでは3通りの解説方法をのせた。
公理と公準の直感的な違い
直感的には、証明なしで正しいとみなすのは同じだが「公理=もの」、「公準=こと」、と考えると違いがとらえやすい。
実際に、ユークリッド原論の公理では、「等しいもの」、「重なりあうもの」、など、ものにフォーカスした言葉が出てくる。
いっぽうで公準では、「延長すること」、「円を描くこと」、など、ことにフォーカスした表現が多く使われている。作図の手続きのような表現が多いことが特徴である。
公理と公準の適用範囲の違い
実は、公理と公準は分野が限定されているかいないかという違いもある。
公準のほうは、証明なしで正しいとすることがらは幾何学の命題に限定されているのにたいして、公理のほうはほかの数学の分野でも成立する命題であるという違いがある。
公理と公準の翻訳的な違い
公理と公準は翻訳の仕方によって言葉がかわることがある。
公理を共通概念、公準を要請と訳しているものもあることから、微妙なニュアンスの違いがみてとれる。
要請のほうは、ギリシア語でアイテーマタ、要請されたこと、を意味する。これはラテン語でpostulatumとなり、英語のpostulateになった。
共通概念のほうは、ギリシア語でコイナイ・エンノイアイ、共通する概念を意味する。また、アクシオーマタという言葉もあり、これは公理とやくされる。英語のaxiomの語源である。
公理と公準の歴史的な取り扱い
写本によって、公理と公準にふくまれる事柄の個数や内容が違っていることがあきらかになっている。
プロクロスはいくつかの公準を排除している。またシンプリキオスの説では、古い写本では3つの公理しかないと延べている。ただし、3つだけの公理でユークリッド幾何学が成立させられるかというとちょっとあやしいので、写本を書き写す際に欠落したなどの理由が考えられる。
今日の公理と公準
どちらも証明なしで正しいとみなすことという意味については変わらないので、今日では区別して使うことは少ない。公準ということばは、非ユークリッド幾何学のきっかけとなった「平行線公準」についての文脈でしか多用されることは少なくなっている。