核融合は各国が期待を寄せて研究をしている分野である。過去に、常温核融合に成功したというニュースが席巻したことがあったが、これは盗用問題などのスキャンダルをおこした。その事例を解説する。
常温核融合の騒動
20世紀末の科学の大ニュースになったが、追試で結果はでず、失敗とみなされた。その中で、盗用の疑惑などがもちあがり、問題となった。
実験成功の大ニュース
1989年にウォール・ストリートジャーナルが報道したポンズとフライシュマンの常温核融合成功のニュースが始まりだった。
研究発表では、1989年3月11日、ポンズ教授、フライシュマン教授の常温核融合の論文が提出された。ただし、論文掲載にあたって必要な追加のデータの提出を拒否したため、掲載には至らなかった。
1989年3月23日、ジョーンズ教授の論文が出る4月にはネイチャーに掲載された。
1989年324にはポンズ、フライシュマンの会見が開かれた。
ポンズとフライシュマン、ジョーンズのやり取り
すでに86年にはポンズ、フライシュマンが、ジョーンズと連絡を取り合っていた。ジョーンズのほうはデータがある程度得られていたが、ポンズのほうはなかったため、あわててデータ集めをしたという背景がみられる。
共同で発表する約束をしていたが、ポンズとフライシュマンが抜け駆けするかたちで発表してしまったことが問題の発端となった。
このあと、ジョーンズはポンズら側から盗用の疑惑をかけられてしまうことになった。
ポンズらが所属していたユタ大学の介入が囁かれるなど、一時混沌となる。
ポンズ、フライシュマン論文の問題点
上にあげたデータ不足の他、実験の方法がわからないという問題点も寄せられたようである。
追試は失敗
他の研究者が追試をおこなったが、反応は出ず。
日本でも、1992年頃にNTTや日本原子力研究所が追試したが、反応出ず。
両者の研究の違い
ジョーンズは地球でも核融合がおこるのでは、という地学のテーマなのに対し、ポンズらは簡単に核融合できるのでは、というまさに常温核融合の分野のテーマだったという違いがある。
このあと、ポンズ教授はフランスで核融合の研究をする研究員となったようだ。
実は1920年代にもあった常温核融合騒動
星が輝くエネルギー源を解明する上で、似たような事象が起こったことがあったが、撤回された。
1926年、星のエネルギー源を探す上でパネスとペーターはパラジウムを触媒とし、水素からヘリウムができたと発表した。
8か月後、ヘリウムは実験装置のガラスに吸収されたものがでているとわかり、撤回。これはフェアな対応として評価されている。
なお、後日談として1927年にスウェーデンの研究者がヘリウム発生装置として特許申請するも、認められなかった。