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核戦争の寸前になった事例まとめ

これまで、あわや核戦争が起こるのではないかという、核戦争寸前あるいは直前までいった事例というのは複数回あった。有名なのはキューバ危機であるが、そのときだけではなかった。その事例をまとめた。

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キューバ危機

核戦争の手前までいった事例としてもっとも有名なのがキューバ危機である。

1962年:ソ連がキューバのミサイル基地にミサイルを配備。

ミサイル基地

10月16:アメリカがミサイル基地を発見。ワシントンに情報が届けられる。

この間、空爆などが検討されるが、交渉での駆け引きが続いた。

10月23:海上封鎖が決定。

10月28:ミサイルの撤去に同意。

この結果から、モスクワとワシントンのあいだでホットラインが開通することになった。

システム誤作動で核戦争の寸前に

1983年9月26:ソ連のコンピュータが米国から飛来するミサイルを識別。

ソ連のロケット担当スタニスラフ・ペトロフ中佐はこれをコンピュータのエラーだと推定。この判断の根拠としては、
・アメリカが先制攻撃をするとすれば、ミサイルの個数はもっと多いはずと聞かされていたから。
・コンピュータがミサイルをとらえたものの、そのあとでレーダーなどがミサイルを確認しなかったから。
などの理由があったと言われている。

結局、報復措置を取らなかったため、核戦争は回避された。

この事実は、割と最近文書が公開されて明らかになった。

軍事演習で核戦争の寸前に

1983年11月7:軍事演習「エイプリルアーチャー83」を実施。ソ連を想定した演習。

直後:ソ連、先制攻撃がおこるとみなし、ミサイルを国内の発射基地に設置

アメリカ、ペルーツ中将はこのソ連の動きを軍事演習と勘違いし、軍を動員することはなかった。

ソ連、アメリカに攻撃の意思はないと判断し、警戒を解く。

結局、勘違いがもとで核戦争は回避された。

報告書では、ちゃんと情報を得ていなかったのが吉とでた、と評価されている。こちらも最近機密がとかれたことで概要が明らかになった。

豆知識

・朝鮮戦争でも、原子爆弾を使用することをマッカーサーがトルーマンに進言したことは有名である。この時は、すでにソ連が核兵器の開発に成功していたため、アメリカとソ連間で核戦争となることを考慮しトルーマンがゴーサインを出すことはなかったとされている。逆に、マッカーサーはその任務を解かれた。

・スタニスラフ・ペトロフのあだ名は「世界を救った男」だそうである。由来はもちろん、上の出来事による。

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