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アダムスミスは、近代的な経済学の開祖であるが、いくつか間違いを犯していることで知られている。有名なのがこのアダムの罪である。
もうひとつ、実は彼は「神の見えざる手」といっていない。これらを年表にした。
アダムの罪 |
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アダムスミスが貨幣の期限を物々交換から生まれたと推測したことで、これが事実であると誤解されたこと。歴史的には、貨幣が物々交換から起こったという事実はない。 |
1776年 「諸国民の富」 出版・・・アダムの罪は、この第四章 「貨幣の起源および使用について」で登場する。
1.分業の確立からものを交換する社会に
2.物々交換が難しいから貨幣
3.おそらくさまざまな商品が交換用として使用されただろう
4.耐久せいから金属が採用された
地方では釘をもってパン屋に行くという事例も聞いております。
のちに、人文学者などの研究で物々交換ぎ社会の交換方法として定着した事実はない、ということがわかると、こらはアダムの罪と言われるようになった「アダムの罪」という言葉自体は2000年から2010年代に作られたようである。
本文では「見えざる手」(invisible hand)とは書いたが、「神の見えざる手」とは書いていない
18世紀:「天文学史」をスミスが執筆。
「ジュピターの見えざる手」という文言を使っている。ジュピターは神の名前で、木星の意味でもある。
1904:ニューヨークスクールオブエコノミクス、エドウィンキャナン教授による序文がかかれる。この時点ではだだの「見えざる手(見えない手)」となっている
キャナン:
序文でも「見えざる手」と書いています。
1940:日本で「国富論」が出版される。・・・「見えざる手」と訳される。
はじめ(80年代頃まで)は「見えざる手」と書いていたようである。
しかし、90年代頃に「神の見えざる手」という太字にする表現が出始めているようである。このあと間違いに気づいたのか、神の「見えざる手」というふうに、神の、を括弧からはずすが全体としては太字にするという、やや遠慮した記述になっていった。
現在では、単に「見えざる手」という書き方も増えているようだ。
・中国では貝殻が貨幣として流通していた、というのは事実である。しかし、こちらも物々交換から貝に変わったわけではなく、のちに金属に移行し、始皇帝の中国統一とともに統一された金属に変わった。
・アダムスミスは、「社会の個々人が最善の行動をとることで、社会全体が良くなる」という考え方をしていたが、社会科学やゲーム理論の発展によりこちらも否定された。
・サミュエルソンやケインズの「合成の誤謬」
・ナッシュの「ナッシュ均衡」
等の考え方がそれである。
・アダムの罪がおこった原因
スミスは地方のうわさから、推測したに過ぎなかったということが分かる。実際には、銀行の貸し借りの記録が貨幣として出回っていたというのが事実である。地方の物々交換は、田舎だからできたことといってよいかもしれない。
・神の見えざる手
「神の見えざる手」は、天文学史からの誤解とも取れるが、きゃなんの序文が書かれたころにはまだ「見えざる手」といういわれ方のみしていたようだということがわかる。20世紀のいずれかのタイミングで混乱が起きて、神の見えざる手となってしまった。