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「とおりゃんせ(通りゃんせ)」は、日本のわらべ歌(童謡)の代表的なものであり、だれしも一度は聞いたことがある歌でしょう。この歌詞には、納める、怖いといった一見すると不思議な歌詞が含まれています。ここでは、何を納めに行くのか、なぜ怖いのかを解説していきます。
『とおりゃんせ』は、言わずと知れた日本のわらべ歌です。
動画サイトなどでも、歌を聴くことができます。
歌詞の全文は以下のようになります。
通りゃんせ 通りゃんせ
とおりゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
この歌詞は、江戸時代に成立したということがわかっています。また、よく知られるわらべ歌の形になったのは20世紀のはじめごろに曲がつけられた時です。
ただし、各地方のとおりゃんせにはそれぞれ異なるローカルな歌詞があり、統一された歌詞が全国で歌われていたというわけではないようです。
一度、何を納めるのか、何が怖いのかという解説の前に、現代語訳を見ておきましょう。
通りなさい、通りなさい。
とおりゃんせ 現代語訳
ここは、どこの細道ですか?
天神様の細道ですよ。
ちょっと通して下さいませんか?
御用の無い者は、通しはしません。
この子の七つの御祝いに、御札を納めに参ります。
行きは良いですが、帰ってくるのは難しい。
難しいですが、
通りなさい、通りなさい。
とおりゃんせでは何がうたわれているのかという背景もこの歌詞の意味を知るうえで参考になります。
歌詞を文字通り受け止める場合、この歌詞は天神様、つまり、天神がまつられている神社への参拝を表しているということがわかります。
歌詞の意味はこれだけではなく、「関所(箱根の関所)が通りにくいこと」を表しているという説や「飢饉の時代にあった子供の身売り」を表しているという説など、いくつかあります。
関所が箱根であると解釈されることが多いのは、民俗学者によって収集されたときにそのような説が載ったことが発端であるようです。
また、通りゃんせ発祥の地ともいわれる小田原には石碑が建っており、この小田原は箱根のすぐ横にある土地です。
例えば以下の石碑は小田原市山角天神社のものであり、天神様という歌詞とも一致するものです。
以下では、「納める」「怖い」にフォーカスして意味を見てみましょう。
とおりゃんせについて調べてみると、「何を納める」という検索ワードがあることがわかります。
ここではまず、何を納めるのか解説していきます。
納めるという歌詞の近くを見ると、「お札」という歌詞が見つかります。
このことから、何を納めるのかと言えば、お札を納める、ということになるのですが、お札とは何なのでしょうか。
天神様のお参りという文字通りの解釈をした場合は、これは天神様に納めるお札ということになります。
神社にお札を納めるというのは風習がすたれた現代ではあまりピンと来ないかもしれませんが、天神様にお札を納める風習というのは各地に残っています。
このお札は、学業成就などの願いをかけた札のことで、これを納めることで神様によるご利益を求めるというわけです。
代表的なものでは、正月のあたりでお札を納めて、それを月末のあたりで焼く、という儀式が行われる地域もあり、お札を納めるというのは、このことだと考察ができます。
この「こわい」の部分は、現代の感覚では怖いという意味にとりがちですが、前述の通り、現代語訳としては「難しい」と訳されることが多いです。
ここでは、なぜ帰りはこわい、つまり、帰るのは難しいのかについて考察していきます。
そして、天神様のお参りという文字通りの解釈では、行きは良くても帰るのが難しいというのはやや不可解です。
ですが一応、帰ってくる頃にはあたりが暗くなってくるので、道中に街灯などの明かりのなかった江戸時代には歩くのが難しくなっている、という解釈はできます。
つまり、外で遊んだら暗くなる前におうちに帰ろうね、という注意喚起の歌のようにもとらえることができます。
関所説や身売り説をとった場合、帰りは難しいというのは想像がつきます。
関所説をとった場合、箱根の関所では、行き、つまり出発する場合の取り調べは簡単なもので、すぐに出発ことができるものの、帰りには取り調べは厳しくなるので、かなり時間がかかり、難しくなる、ということが言えます。
身売り説をとった場合は、帰りは怖いというのは比較的合点がいきます。
子供の目線で考えれば、域は天神様に親に連れられて行くだけです。ですが、そこで身売りの承認に引き渡されてしまうので、帰りは怖い、そして変えることは難しい、ということになります。
親の目線から見てもなぜ帰るのが難しいのかというと、帰りには子供を売った代金を持っているはずで、それはけっこうな額であることは想像がつきます。
そうすると、帰りの道中で追いはぎなどに狙われる可能性があるので、帰りは怖い、という風になるわけです。
怖いというのが現代語訳では難しいになるというのが意外と盲点でした。