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新しい技術が勃興すると、きまってそれに関する迷信がはびこるものである。写真を撮られると魂が抜かれる説などは有名であるが、同じ時代である明治時代の科学技術に関する俗説をまとめた。
これは写真に関する俗説として最も有名である。当時は、人の姿がそのまま乾板に映るというのが信じがたかった。このため、「はっきり移るのは魂がカメラに吸い取られて移るからだ」という説が生まれたようである。
また、当初は写真が撮られるまで数十分じっととまっていなければならない、というシュールな光景もこのうわさに影響したらしい。
派生系として、3人で写真をとると真ん中の人が魂を抜かれる、というものがあったようである。これは、ピントの関係で真ん中の人物がもっともはっきりと移るため、一番魂を抜かれているのだと解釈されたようである。
中岡慎太郎が微笑んでいる有名な写真でも、後ろの女性の顔が黒く塗りつぶされているが、これには写真に関する俗説が影響しているという考察もあるようである。
ハレー彗星の接近の折、彗星の尾の部分に地球が触れると吹聴された。これによって酸素がなくなり、息を止めていないと死んでしまうというパニックが起こった。
電信がなぜ早くメッセージを届けられるのか当時の人には不思議だった。このため、電信には処女の閾値が塗られていて、それが魔術的な作用をすると考えられたようである。
これはうわさの出所はジョン万次郎の階層であるらしい。彼がアメリカ時代を回想して「電信は針金が駅と駅を結んでいて、手紙を吊り下げると、直ちに知らせが届く」といったような語りをしたことから贈り物をぶら下げる人もいたようだ。
明治期の飲み物としてサイダーとともに広まったラムネであるが、そのコルクの栓がコレラに効くというデマが合ったらしい。しかし、コルク栓をどのように使ってコレラに対抗するのかよくわからない。
うまみ成分を世界に先駆けて商品化した「味の素」であったが、その当初は原料が蛇の皮であるというようなデマが飛び交った。これは新聞記事にも載った。しかし、関東大震災のあたりには原料の融通などで蛇が原料ではないことが民衆にも知れ渡った。
新しい技術は今後も次々と登場するので、それに関するうそやデマは今後も耐えることはないと考えられる。もっとも、今日においてはテクノロジーに対するリテラシーは過去の時代の人よりもあがっているし、それらに対して見慣れた、という感触はつよい。よって、魔法や呪術かのような俗説がとびかうとは考えにくい。
今日や今後は、「できない機能なのに大げさに言う」「人類・人体に悪影響がある(かもしれない)」といったものが俗説の大半を占める手いるように思われるし、未来でも同様になると思われる。